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「光明」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 [[仏]]・[[菩薩]]の身心に具わる光。迷いの闇を破し、真理をさとりあらわす仏・菩薩の[[智慧]]を象徴するもの。とくに[[阿弥陀仏]]については、『大経』に無量光などの十二光をもってその光明の徳が示されている。→[[十二光]] (じゅうにこう)。
 
 [[仏]]・[[菩薩]]の身心に具わる光。迷いの闇を破し、真理をさとりあらわす仏・菩薩の[[智慧]]を象徴するもの。とくに[[阿弥陀仏]]については、『大経』に無量光などの十二光をもってその光明の徳が示されている。→[[十二光]] (じゅうにこう)。
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 光明<kana>真言(しんごん)</kana>のこと。『<kana>光(こう)</kana><kana>明(みょう)</kana><kana>真言(しんごん)</kana><kana>経(ぎょう)</kana>』 に説かれる<kana>大日(だいにち)</kana>如来の真言。 ([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1273|選択集 P.1273]])
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2010年5月2日 (日) 23:25時点における版

こうみょう

 十方衆生を碍りなく救う尽十方無碍光のいわれ。光明が名の義でもある。(二門 P.548)

 菩薩の身心に具わる光。迷いの闇を破し、真理をさとりあらわす仏・菩薩の智慧を象徴するもの。とくに阿弥陀仏については、『大経』に無量光などの十二光をもってその光明の徳が示されている。→十二光 (じゅうにこう)。


 光明真言(しんごん)のこと。『(こう)(みょう)真言(しんごん)(ぎょう)』 に説かれる大日(だいにち)如来の真言。 (選択集 P.1273)


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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