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浄土真宗では、真如法性に背反する愚痴を'''痴無明'''とし、本願を疑うことを'''擬無明'''という。真如法性に背くことも本願に背くことも、どちらも人間の虚妄分別を基礎としているので本質的には同じとされる。
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浄土真宗では、真如法性に背反する愚痴を'''痴無明'''とし、本願を疑うことを'''疑無明'''という。真如法性に背くことも本願に背くことも、どちらも人間の虚妄分別を基礎としているので本質的には同じとされる。
  
 
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2011年9月5日 (月) 02:29時点における版

むみょう

 【左訓】「煩悩の王を無明といふなり」(異本)(浄土 P.572)

 梵語アヴィドヤー(avidyā)の漢訳。真理に暗く、道理事象を明らかに理解できない精神状態をいう。最も根本的な煩悩(ぼんのう)。迷いの根源。また浄土真宗では、本願を疑い仏智を明らかに信じないことを無明という場合もある。


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

浄土真宗では、真如法性に背反する愚痴を痴無明とし、本願を疑うことを疑無明という。真如法性に背くことも本願に背くことも、どちらも人間の虚妄分別を基礎としているので本質的には同じとされる。

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