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「虚無の身無極の体」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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こむのしんむごくのたい
 
こむのしんむごくのたい
  
 虚無、無極はともに限定を超えた涅(ね)槃(はん)のこと。 浄土における身体は涅槃のさとりにかない、絶対の自由をもつものであるということ。 ([[讃阿弥陀仏偈 (七祖)#P--167|讃弥陀偈 P.167]]、[[安楽集 (七祖)#P--277|安楽集 P.277]])
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 虚無、無極はともに限定を超えた<kana>[[涅槃]](ねはん)</kana>のこと。 浄土における身体は涅槃のさとりにかない、絶対の自由をもつものであるということ。 ([[讃阿弥陀仏偈 (七祖)#P--167|讃弥陀偈 P.167]]、[[安楽集 (七祖)#P--277|安楽集 P.277]])
  
 
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2017年11月8日 (水) 19:36時点における最新版

こむのしんむごくのたい

 虚無、無極はともに限定を超えた涅槃(ねはん)のこと。 浄土における身体は涅槃のさとりにかない、絶対の自由をもつものであるということ。 (讃弥陀偈 P.167安楽集 P.277)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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