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「正受」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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御開山は『化巻』の顕彰隠密の釈例を指示する十三文例で、
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:「教我思惟」といふは、すなはち方便なり。
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:「教我正受」といふは、すなはち金剛の真心なり。([[化巻本#P--382|化巻 P.382]])
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とされ、隠彰の意で、正受とは如来回向の金剛心(金剛の真心)を正受することであるとされた。「正信念仏偈」に、「行者正受金剛心」とされた所以である。 →[[共発金剛心]]
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[[Category:仏説観無量寿経]]
 
[[Category:仏説観無量寿経]]

2017年11月13日 (月) 16:45時点における版

しょうじゅ

 思惟が完成して、浄土のすがたが行者の心と一つになること。これがの成就である。(観経 P.91)

 三昧のこと。 →三昧(さんまい) (要集 P.1010)

 心を静めること。 (要集 P.1070)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

御開山は『化巻』の顕彰隠密の釈例を指示する十三文例で、

「教我思惟」といふは、すなはち方便なり。
「教我正受」といふは、すなはち金剛の真心なり。(化巻 P.382)

とされ、隠彰の意で、正受とは如来回向の金剛心(金剛の真心)を正受することであるとされた。「正信念仏偈」に、「行者正受金剛心」とされた所以である。 →共発金剛心