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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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::「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。([[観経疏 玄義分 (七祖)#P--325|玄義分 P.325]])
 
::「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。([[観経疏 玄義分 (七祖)#P--325|玄義分 P.325]])
  
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2017年12月25日 (月) 05:21時点における版

願行

 誓願と修行。

1.因位の時に誓われたと、その願を実現するための
2.往生に必要な願と行。善導大師は、「南無阿弥陀仏」の「南無」には願の意味があり、「阿弥陀仏」には往生の行となるいわれがあるから、南無阿弥陀仏と称えるところには、往生に必要な願と行が具わっていると説く。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

願行具足の六字釈

言南無者 即是帰命 亦是 発願回向之義
「南無」といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。
言阿弥陀仏者 即是其行 以斯義故 必得往生
「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。(玄義分 P.325)