「正受」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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心を静めること。 ([[往生要集下巻 (七祖)#P--1070|要集 P.1070]]) | 心を静めること。 ([[往生要集下巻 (七祖)#P--1070|要集 P.1070]]) | ||
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+ | とされ、隠彰の義では、正受とは如来回向の金剛心(金剛の真心)を正受することであるとされた。 | ||
+ | 「正信念仏偈」に「行者正受金剛心 慶喜一念相応後」とされた所以である。 →[[共発金剛心]] | ||
+ | また、御開山は『化巻』の顕彰隠密の釈例を指示する十三文例で、 | ||
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:「教我正受」といふは、すなはち金剛の真心なり。([[化巻本#P--382|化巻 P.382]]) | :「教我正受」といふは、すなはち金剛の真心なり。([[化巻本#P--382|化巻 P.382]]) | ||
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2018年1月24日 (水) 13:34時点における版
しょうじゅ
思惟が完成して、浄土のすがたが行者の心と一つになること。これが観の成就である。(観経 P.91)
心を静めること。 (要集 P.1070)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
御開山は『観経』に隠顕をみられ『観経義』「帰三宝偈」の文を抄要され、
- 道俗時衆等 各発無上心
- 道俗時衆等、おのおの無上の心を発せども、
- 生死甚難厭 仏法復難忻。
- 生死はなはだ厭ひがたく、仏法また欣ひがたし。
- 共発金剛志 横超断四流。
- ともに金剛の志を発して、横に四流を超断せよ。
- 正受金剛心 相応一念後
- まさしく金剛心を受けて、一念に相応してのち、
- 果、得涅槃者。
- 果、涅槃を得んひと、といへり。{抄要} (信巻 P.244)
とされ、隠彰の義では、正受とは如来回向の金剛心(金剛の真心)を正受することであるとされた。 「正信念仏偈」に「行者正受金剛心 慶喜一念相応後」とされた所以である。 →共発金剛心
また、御開山は『化巻』の顕彰隠密の釈例を指示する十三文例で、
- 「教我思惟」といふは、すなはち方便なり。
- 「教我正受」といふは、すなはち金剛の真心なり。(化巻 P.382)
とされ、隠彰の意で、如来回向の金剛心(金剛の真心)を正受することであるとされた。