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「仰信」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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御開山には、
 
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:爾者末代道俗可仰信敬也可知
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:爾者末代道俗 可仰信敬也可知。
::しかれば末代の道俗、仰いで信敬すべきなり、知るべし。
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::しかれば末代の道俗、仰いで信敬すべきなり、知るべし。 ([[化巻末#no120|化巻 P.474]])
という仰信敬の用例はあるが直接に仰信の用例はない。以下御開山が依用された浄土系の書籍から'''仰信'''の語の出拠を示す。
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という仰信敬の用例はあるが直接に仰信という語の用例はない。
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ただ御開山の本願に対する「[[行信]]」の構造は「総序」で、
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:捨穢忻浄 迷行惑信 心昏識寡 悪重障多 特仰如来発遣 必帰最勝直道 専奉斯行 唯崇斯信。
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::穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、{{ULR|もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ}}。 ([[総序#有縁を勧誡する|総序 P.131]])
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と、「もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ(専奉斯行 唯崇斯信)」といふ、阿弥陀仏の本願に対する[[信順]]であったことは御著書全体に通底する論理であった。浄土真宗は本願力回向の宗旨であったからである。
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参考までに以下御開山が依用された浄土系の書籍から'''仰信'''の語の出拠を示す。
  
 
『大乗起信論』<br />
 
『大乗起信論』<br />
 
:其有衆生、於此論中毀謗不信、所獲罪報、経無量劫受大苦悩。是故、衆生但応'''仰信'''。
 
:其有衆生、於此論中毀謗不信、所獲罪報、経無量劫受大苦悩。是故、衆生但応'''仰信'''。
::其れ衆生あって、此の論の中に於いて毀謗して信ぜざれば、獲る所の罪報は、無量劫を経て大苦悩を受けん。是の故に、衆生は、但だ応に'''仰信'''ずべし。
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::其れ衆生あって、此の論の中に於いて毀謗して信ぜざれば、獲る所の罪報は、無量劫を経て大苦悩を受けん。是の故に、衆生は、但だ応に'''仰信'''すべし。([[hwiki:大乗起信論#勧修利益分]])
  
 
『往生拾因』<br />
 
『往生拾因』<br />
 
:当知 人中芬陀利華。依之十方恒沙諸仏出広長舌各垂勧進。是表実語。可取'''仰信'''。
 
:当知 人中芬陀利華。依之十方恒沙諸仏出広長舌各垂勧進。是表実語。可取'''仰信'''。
::当に知るべし、人中の芬陀利華ということを。これに依て十方恒沙の諸仏は広長舌を出して各勧進を垂れたまふ。これ実語を表するなり。'''仰信'''を取るべし。
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::当に知るべし、人中の芬陀利華ということを。これに依て十方恒沙の諸仏は広長舌を出して各勧進を垂れたまふ。これ実語を表するなり。'''仰信'''を取るべし。([[hwiki:往生拾因|往生拾因]])
  
 
:予 爲知先賢 獨在閑室、向西閇目合掌 當額 勵聲念佛 即得一心。<br />
 
:予 爲知先賢 獨在閑室、向西閇目合掌 當額 勵聲念佛 即得一心。<br />
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:仏意難測。唯可'''仰信'''。<br />
 
:仏意難測。唯可'''仰信'''。<br />
 
:譬若痴人堕火坑不能自出 知識救之 以一方便 痴人 得力応務速出。
 
:譬若痴人堕火坑不能自出 知識救之 以一方便 痴人 得力応務速出。
:仏意、測りがたし。 ただ'''仰ぎて信'''ずべし。
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::仏意、測りがたし。 ただ'''仰ぎて信'''ずべし。
::たとへば、痴人の、火坑に堕ちてみづから出づることあたはざらんに、知識これを救ふに一の方便をもつてせば、痴人、力を得て、務ぎてすみやかに出づべし。
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::たとへば、痴人の、火坑に堕ちてみづから出づることあたはざらんに、知識これを救ふに一の方便をもつてせば、痴人、力を得て、務ぎてすみやかに出づべし。([[往生要集上巻 (七祖)#P--889|要集 P.889]])
 
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このような「仰信」という表現は、仏の衆生を浄土に往生せしめようという密意は仏果にある者だけが知りうるという意であったのであろう。
  
 
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2018年6月17日 (日) 01:46時点における版

御開山には、

爾者末代道俗 可仰信敬也可知。
しかれば末代の道俗、仰いで信敬すべきなり、知るべし。 (化巻 P.474)

という仰信敬の用例はあるが直接に仰信という語の用例はない。 ただ御開山の本願に対する「行信」の構造は「総序」で、

捨穢忻浄 迷行惑信 心昏識寡 悪重障多 特仰如来発遣 必帰最勝直道 専奉斯行 唯崇斯信。
穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。 (総序 P.131)

と、「もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ(専奉斯行 唯崇斯信)」といふ、阿弥陀仏の本願に対する信順であったことは御著書全体に通底する論理であった。浄土真宗は本願力回向の宗旨であったからである。

参考までに以下御開山が依用された浄土系の書籍から仰信の語の出拠を示す。

『大乗起信論』

其有衆生、於此論中毀謗不信、所獲罪報、経無量劫受大苦悩。是故、衆生但応仰信
其れ衆生あって、此の論の中に於いて毀謗して信ぜざれば、獲る所の罪報は、無量劫を経て大苦悩を受けん。是の故に、衆生は、但だ応に仰信すべし。(hwiki:大乗起信論#勧修利益分)

『往生拾因』

当知 人中芬陀利華。依之十方恒沙諸仏出広長舌各垂勧進。是表実語。可取仰信
当に知るべし、人中の芬陀利華ということを。これに依て十方恒沙の諸仏は広長舌を出して各勧進を垂れたまふ。これ実語を表するなり。仰信を取るべし。(往生拾因)
予 爲知先賢 獨在閑室、向西閇目合掌 當額 勵聲念佛 即得一心。
敢以不亂 誠聖言不墮地。行者可仰信
予、先賢を知らんが為に独り閑室に在りて、西に向かいて目を閉じて合掌して額に当て励声に念仏して即ち一心を得たり。敢えて以て乱れず誠に聖言地に堕ちず。行者、仰信すべし。


『往生要集上巻』

仏意難測。唯可仰信
譬若痴人堕火坑不能自出 知識救之 以一方便 痴人 得力応務速出。
仏意、測りがたし。 ただ仰ぎて信ずべし。
たとへば、痴人の、火坑に堕ちてみづから出づることあたはざらんに、知識これを救ふに一の方便をもつてせば、痴人、力を得て、務ぎてすみやかに出づべし。(要集 P.889)

このような「仰信」という表現は、仏の衆生を浄土に往生せしめようという密意は仏果にある者だけが知りうるという意であったのであろう。