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仰信

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

ごうしん

 一般に、神や仏などを信じることを信仰(しんこう)という。 これに対し、古くから浄土真宗では仰信(ごうしん)ということがいわれてきた。

信仰という語は「仰いで信ずる」「信じて仰ぐ」と訓ずるように、信じるも仰ぐも、私を主体とする動作をあらわす動詞である。この信仰に対して、仰信とは「信を仰ぐ」として、信を動詞ではなく阿弥陀仏の利他の信 (真実) を仰ぐから仰信というのである。
 一般に仏教では、教えを知的に理解して信じることを「解信」という。これに対して、教えで説かれる信(まこと)をひたすら仰いで信順することを「仰信」という。浄土真宗では「如来よりたまはりたる信心なり」(歎異抄 P.852)として自らの心中に信を認めない。賜りたる信心は私の上にあるけれども私のものではないのであった。浄土真宗の信は、私が信ずるのではなく、「阿弥陀仏の信」を仰いで受動的に聞信するから仰信というのである。
この信を仰ぐ仰信を、先人は「信は仏辺(ぶっぺん)に仰ぎ、慈悲は罪悪機中に味わう」といわれていた。信心は自分の心の中にさがすのではない。「必ず救う」とおおせの「本願招喚の勅命」を聞きいれて、阿弥陀仏の摂取決定の信 (まこと) のたしかさを仰ぐのである。そして阿弥陀仏の慈悲は、わが身の煩悩罪障の中に味わうというのである。他力の本願は、このようなあさましい私のためであったか、と己の煩悩中に阿弥陀仏の慈悲を味わうのである。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」 (歎異抄 P.853)

と御開山が御述懐されたように、阿弥陀仏が五劫という時間をかけなければ、わたしの救いを見出すことのできなかった、それほどの業をもちける身であるわれを済度したまう阿弥陀仏の慈悲を自己の罪悪の煩悩の中に味わうのであった。
これを逆にして信を自分の心の中にさがし、慈悲を阿弥陀仏の側にみようとするから浄土真宗の利他(他力) の信心がわからなくなるのであろう。自らの心中に清浄の信 (真実)を求める行為は、

悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度(はか)るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号をもつておのれが善根とするがゆゑに、信を生ずることあたはず、仏智を了(さと)らず。かの因を建立せることを了知することあたはざるゆゑに、報土に入ることなきなり。 (化巻 P.412)

であった。「無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑ」にであり「本願の嘉号をもつておのれが善根とする」がゆゑに「報土に入ることなきなり」であった。浄土真宗の信は、「解信」ではなく愚直に〔なんまんだぶ〕と称える行の中に信を摂(おさ)めた「行中摂信」であるから、浄土真宗本願寺派第22世法主の鏡如(光瑞)上人は、

我、名号となりて衆生に到り、衆生とともに浄土へ往生せん、若(も)し衆生生まれずば 我も帰らじ[1]

といわれたのであった。これを越前の門徒は、

我、名号となりて衆生に至り、衆生かえらずんば 我もまた還らじ。

と、味わっていた。なんまんだぶ なんまんだぶ、なんまんだぶ ありがたいこっちゃな。

トーク:仰信
トーク:疑蓋
信心
聞即信
仏願の生起本末
疑蓋無雑


  1. 2000年頃に別府の大谷記念館などに問い合わせたのだが詳細な出拠は不明であった。