操作

「自覚」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

(ページの作成:「じかく  近年、浄土真宗の信心を、自覚(自意識)という言葉で表現する僧俗が多い. 元来自覚という語は、「自覚・...」)
(相違点なし)

2018年9月15日 (土) 22:10時点における版

じかく

 近年、浄土真宗の信心を、自覚(自意識)という言葉で表現する僧俗が多い. 元来自覚という語は、「自覚・覚他・覚行窮満、これを名づけて仏となす」(玄義分 P.301)とあるように、自ら迷いを断って悟りを開くことを意味する仏教語である。しかし、世間で使われている自覚とは、 自分自身の置かれている状態や自分の価値を知るという意味で使われているので、浄土真宗他力信心の表現として濫用すべきではない。もし自覚という語を使うなら仏教語としての意味と世俗語での意味の違いを示して使用すべきである。
善導大師が浄土教に於ける信心を「信知」という言葉を示して下さったのであるから、自覚という言葉より、信知という表現で浄土真宗のご信心を語るべきであろう。 以下のご和讃の信知を、自覚と読み変えてみれば、その違和感が判るであろう。

(32)

本願円頓一乗は
 逆悪摂すと信知して
 煩悩・菩提体無二
 すみやかにとくさとらしむ (曇鸞讃

(73)

煩悩具足と信知して
 本願力に乗ずれば
 すなはち穢身すてはてて
 法性常楽証せしむ (善導讃
信知