「二種回向」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
3行目: | 3行目: | ||
にしゅ-えこう | にしゅ-えこう | ||
− | [[往相回向]]と[[還相回向]] | + | [[往相回向]]と[[還相回向]]のこと。[[往相]]とは往生浄土の相状。[[還相]]とは<kana>還来穢国(げんらい-えこく)</kana>の相状という意。[[曇鸞]]は『論註』([[浄土論註 (七祖)#no56|論註 P.107]])においてこれらの[[回向]]を浄土願生者の行とし、[[往相回向]]とは自己の[[功徳]]を一切衆生にふりむけて自他ともに往生しようとすること、[[還相回向]]とは浄土に往生してのち、再び迷いの世界に還り来て、衆生を教化することとした。<br /> |
− | 親鸞はこれらの回向を'''本願力回向'''であるとして、回向の主体を阿弥陀仏であるとした。 | + | 親鸞はこれらの回向を'''[[本願力回向]]'''であるとして、回向の主体を阿弥陀仏であるとした。<br /> |
− | + | 衆生が往生成仏する因果である[[往相]]も、証果を開いて後の[[還相]]のはたらきも、阿弥陀仏が衆生に施し与えるものとする。親鸞は[[往相回向]]を[[教行信証|教・行・信・証]]の[[四法]]として明かし、その証の内容として[[還相]]が[[回向]]されることを示した。「教巻」に、 | |
:つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。([[教巻#no1|教巻 P.135]]) | :つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。([[教巻#no1|教巻 P.135]]) | ||
「証巻」に。 | 「証巻」に。 | ||
− | : | + | :還相の回向といふは、すなはちこれ[[利他教化地の益]]なり。([[証巻#P--313|証巻 P.313]]) |
とある。→[[四法]](浄土真宗辞典) | とある。→[[四法]](浄土真宗辞典) | ||
}} | }} | ||
15行目: | 15行目: | ||
と、浄土真宗という宗義であらわし、『浄土文類聚鈔』では、 | と、浄土真宗という宗義であらわし、『浄土文類聚鈔』では、 | ||
:しかるに'''本願力'''の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。 ([[浄文#P--478|浄文 P.478]]) | :しかるに'''本願力'''の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。 ([[浄文#P--478|浄文 P.478]]) | ||
− | + | と法義で[[二種回向]]という[[本願力回向]]を示しておられた。つまり浄土真宗とは本願力回向の宗旨であった。 | |
「証巻」を総決して、 | 「証巻」を総決して、 | ||
28行目: | 28行目: | ||
:→[[常倫に…現前し]] | :→[[常倫に…現前し]] | ||
− | [[Category:追記]] | + | [[Category:追記]] <p id="page-top">[[#|▲]]</p> |
2022年10月19日 (水) 12:58時点における版
本願力回向
にしゅ-えこう
往相回向と還相回向のこと。往相とは往生浄土の相状。還相とは
親鸞はこれらの回向を本願力回向であるとして、回向の主体を阿弥陀仏であるとした。
衆生が往生成仏する因果である往相も、証果を開いて後の還相のはたらきも、阿弥陀仏が衆生に施し与えるものとする。親鸞は往相回向を教・行・信・証の四法として明かし、その証の内容として還相が回向されることを示した。「教巻」に、
- つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。(教巻 P.135)
「証巻」に。
とある。→四法(浄土真宗辞典)
御開山は「教巻」で、
- つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。 (教巻 P.135)
と、浄土真宗という宗義であらわし、『浄土文類聚鈔』では、
- しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。 (浄文 P.478)
と法義で二種回向という本願力回向を示しておられた。つまり浄土真宗とは本願力回向の宗旨であった。
「証巻」を総決して、