末法灯明記
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
まっぽうとうみょうき
一巻。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
御開山は「化巻」でほぼ全文を引文されている。御開山は、末法に相応した機と教を洞察され、
とされ、その末法の証明の為にも末法灯明記を引文されたと思われる。
それは、嘉禄の法難(1227)の遠因となった『延暦寺奏状』に対する反論であった。この 延暦寺衆徒の奏請により再度専修念仏が禁止され、『選択本願念集』の版木を焼き、法然聖人の墓を暴いて遺骸を鴨川に捨てようとまでした嘉禄の法難の因となったのである。この『延暦寺奏状』が提出されたのが元仁元年であり、『延暦寺奏状』では「諸教の修行を捨てて専念弥陀仏が廣行流布す時節の未だ至らざる事」(*) という末法説を非難する論難に対して、延暦寺の開祖である最澄が説いた『末法灯明記』の記述をもって反論する意があったのである。