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総持

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2022年5月26日 (木) 12:19時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

そうじ

 梵語ダーラニー(dhāraņī)の漢訳。陀羅尼(だらに)と音写。仏の教えの精要をわずかな言語におさめた章句のこと。

1.広博な経の文意を総摂して短い偈のなかにおさめたもつこと。(浄文 P.479, 愚禿 P.513, 願生偈 P.1445)
2.よくすべてをおさめ保って忘れない力。ひとつのことがらを記憶することによって、あらゆることがらを連想して忘れない記憶術。
3.万善万行を欠けることなく(まど)かに供えた名号のこと。
4.智慧のこと。(大経 P.21)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

そうじ 総持

 梵語ダーラニー (dhāraṇī) の意訳。

Ⅰ →陀羅尼
Ⅱ 万善万行を欠けることなく円(まどか)にそなえた名号のこと。
Ⅲ 智慧のこと。『銘文』には「総持といふは智慧なり、無礙光の智慧を総持と申すなり」(註 652)とある。 (浄土真宗辞典)

◆ 参照読み込み (transclusion) WDM:そうじ

総持

dhāraṇī (S)

 音写語としての「陀羅尼」は本来、保持する行為、さらに記憶の保持、精神集中などを意味するが、そのために誦する呪句としての陀羅尼の意味をとって訳したものである。

 本来インドでは、学習は筆記によらず記憶によった。そのために長大な教義を要約して暗誦し記憶の保持をはかった。暗誦の句がやがて真言の神秘力との連想によってそれ自体記憶を増し、知識を保持する神秘的な力を持つものとして尊重されるようになり、さらにその内容を誦持者自身にもたらすものとして、真言と同じ意味になった。

 ただし、現実には真言に比べて比較的に長大なものを陀羅尼と呼称する場合が多い。〔維摩経 T14-516c、無量寿経 T12-266b〕

 醍醐の通じて一切の病を治するが如く、(総)持の如薬はよく一切の重罪を消し    〔十住心論(1)〕
 「願偈総持」本願の心をあらわす偈をもって、種々の意義にまとめること。〔教行信証 行巻〕