専修念仏
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せんじゅねんぶつ
専ら念仏のみを修し、他の行を修めないこと。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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浄土へ往生するために、他の行をまじえず、ただひたすら称名念仏を修すること。 法然聖人は『選択本願念仏集』に、善導大師の意を承けて、
- わたくしにいはく、この文を見るに、いよいよすべからく雑を捨てて専を修すべし。あに百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者よくこれを思量せよ。(選択本願念仏集(P.1201)
と言われていた。御開山はこの法然聖人の「専修念仏」の意を承け、
- 南無阿弥陀仏[往生の業は念仏を本とす]と。
と、専修念仏による「称名必得生 依仏本願故(称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに)」の専修念仏による念仏往生の三選の文を引文されておられた。