ねんしょうぜいち
第十八願の「乃至十念」を善導(ぜんどう)大師は「下至十声」と称されたから、「念」と「声」とは同一であるということ。『選択集』に示される解釈。(一代記 P.1232)
選択本願念仏集の念声是一釈