名体不二
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みょうたいふに
阿弥陀仏の
名号には仏徳のすべてが摂在しているから、名号と仏体とは一体不二であること。(安心決定 P.1386)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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「名」とは南無阿弥陀仏の名号。「体」とは阿弥陀仏という仏体のことで、両者は一つであって異なるものではないということ。南無阿弥陀仏の名号が阿弥陀仏という正覚の全体であり、名号を離れて阿弥陀仏の正覚がないということを示した語。(浄土真宗辞典) →安心論題/所帰人法
御開山は元照の『弥陀経義』を引いて、
- 「いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり」と。(行巻 P.180)
とされ、阿弥陀仏は名号(なんまんだぶ)によって物(衆生)を摂取するのであるとされた。これを