三帰依
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
さんきえ
仏・法・僧の
三帰戒のこと。 →三帰戒(さんきかい) (要集 P.1107)
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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「真仏土巻」(真巻 P.343)に、『涅槃経』四相品を引かれて、
と、あるように仏・法・僧の三宝に帰依することは、凡夫の定義の一つに「畏怖心の去らぬ者」 とある、びくびくおどおどしながら暮らしている者への、安らからな心の置き所を示す仏教徒の宗教規範である。
- ブッダッム・サラナム・ガッチャーミ
- 私は仏陀に帰依いたします。
- ダンマッム・サラナム・ガッチャーミ
- 私は法(真理)に帰依いたします。
- サンガッム・サラナム・ガッチャーミ
- 私は僧(聖者の僧団)に帰依いたします。
という帰依三宝は、インド以来の仏教徒の伝統である。在家教団である浄土真宗においては、戒律のない有髪(*)の坊さんの煩悩充満する僧団(僧伽)に帰依するという示唆は、いささか困難のように門徒には思える。しかし、浄土真宗の坊さんが本物の阿弥陀如来の「法」を説くのならば、御開山が「御消息」(消息 P.756)で仰る通り、
- 三宝といふは、一には仏宝、二には法宝、三には僧宝なり。いまこの浄土宗は仏宝なり。
と、三宝に言及されておられるので 住持の三宝として領解してもいいのだろうと思ふ。ともあれ仏宝である阿弥陀仏のお勧めは、我が名を称えよという、なんまんだぶの法である。
なお、この三帰依は大乗仏教の興起にともない、以下のように大乗菩薩の目指すべき綱目となった。
- 三帰依文(大方広仏華厳経巻六 淨行品第七)
- 自歸於佛 當願衆生 體解大道 發無上意
- 自ら佛に帰せば、まさに願うべし衆生、大道を體解して、無上の意を發さんと。
- 自歸於法 當願衆生 深入經藏 智慧如海
- 自ら法に帰せば、まさに願うべし衆生、深く経蔵に入り、智慧 海のごとくならんと。
- 自歸於僧 當願衆生 統理大衆 一切無礙
- 自ら僧に帰せば、まさに願うべし衆生、大衆を統理して、一切無礙ならんと。
- 大谷派では、説教の前に以下の三帰依文を布教使とともに皆で誦している/いた。
- 三帰依文
自ら
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、
無上