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かん

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2005年10月18日 (火) 19:23時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

  1. ここでは本願力を観知する他力信心の意。『一多証文』には「観」の字を解釈して「観は願力を心にうかべみると申す。またしるといふ心なり」とある。(行巻 P.154, 化巻 P.388) 
  2. 「観の字、東大寺の覚寿僧都『観経義』にこれあり。世に流布するは願の字なり」と註記がある。高田派専修寺(せんじゅじ)蔵親鸞聖人加点『観経疏』や『観経集註』では「願」の字を用いてある。(愚禿 P.513)

(かん)

  1. 梵語ヴィパシャナー(vipaśyanā)の漢訳。毘鉢舎那(びばしゃな)・毘婆舎那・毘波奢那と音写し、観察(かんざつ)と漢訳する。智慧(ちえ)で物事の道理をありのままに観ること。()(奢摩他 śamatha)と並べて止観という。→止観 (しかん)
  2. 親鸞聖人は観を本願力をこころに思いうかべることとされる。

【左訓】「みるなり、しるこころなり」(一多 P.691)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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