正明往生浄土教と傍明往生浄土教
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
法然聖人は『選択本願念仏集』「二門章」で浄土教について、正・傍を分判された。
- 次往生浄土門者 就此有二。
- 次に往生浄土門とは、これにつきて二あり。
- 一者正明往生浄土之教、二者傍明往生浄土之教。
- 一には正しく往生浄土を明かす教、二には傍らに往生浄土を明かす教なり。
- 初正明往生浄土之教者、謂三経一論是也。
- 初めに正しく往生浄土を明かす教といふは、いはく三経一論これなり。
- 三経者 一無量寿経、二観無量寿経、三阿弥陀経也。
- 「三経」とは、一には『無量寿経』、二には『観無量寿経』、三には『阿弥陀経』なり。
- 一論者 天親往生論是也。
- 「一論」とは、天親の『往生論』(浄土論)これなり。
- 或指此三経 号浄土三部経也。
- あるいはこの三経を指して浄土の三部経と号す。
{──中略──}
- 次傍明往生浄土之教者 華厳・法華・随求・尊勝等 明諸往生浄土之諸経是也。
- 次に傍らに往生浄土を明かす教といふは、『華厳』・『法華』・『随求』・『尊勝』等のもろもろの往生浄土を明かす諸経これなり。
- 又起信論・宝性論・十住毘婆娑論・摂大乗論等 明諸往生浄土之諸論是也。
- また『起信論』・『宝性論』・『十住毘婆沙論』・『摂大乗論』等のもろもろの往生浄土を明かす諸論これなり。(選択本願念仏集P.1187)
法然聖人が往生浄土教を説かれたとき、既存の仏教諸派から受けた論難の一つが浄土教の立教開宗であった。例せば、法然聖人を論難し承元の法難(1207) の原因となった『興福寺奏状』(第一条)には「新宗を立つる失」の一条がある (興福寺奏状)。 また嘉禄の法難(1227)の遠因となった『延暦寺奏状』の第一条にも「弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事(不可以弥陀念仏別建宗事)」と立教開宗を非難している (延暦寺奏状)。 このような論難は、すでに念仏や往生を説く教えが諸派で説かれているにも関わらず、新たな宗義を建て宗門を建立することは名聞・勝他の為ではないかという非難である。『醍醐本法然上人伝記』に論難として、
- ここに人、多く誹謗して云く、宗義を立てずといえども念仏往生を勧むべし、今、宗義を立つる事はただ勝他の為なりと、云々。(醍醐本法然上人伝記#no7)
と、あるように浄土教は各宗の寓宗として正・傍を分判せずに理解されていたのであった。この混淆した浄土教理解から、正明往生浄土教と傍明往生浄土教を明らかにされたのが法然聖人である。それは『醍醐本法然上人伝記』にもあるように、凡夫が報土へ往生する「凡夫入報」をあらわすためには「正明往生浄土之教(正しく往生浄土を明かす教)」によって新たに浄土宗を独立して立教開宗する必要があったのである。これが「選択本願」による念仏往生の浄土宗の開宗であった。