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かならず…得ざれ

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2018年9月29日 (土) 05:24時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

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かならず~えざれ

 親鸞聖人は 「かならず真実心のうちになしたまへるを須(もち)ゐんことを明かさんと欲(おも)ふ。 外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて」 (信文類訓) と読まれた。 (選択集 P.1232散善義 P.455)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

当面は、須(すべから)く~べし、と読み、ぜひともしなければならないという意味。

当面読み

欲明一切衆生身口意業 所修解行 必須真実心中作。不得外現賢善精進之相 内懐虚仮。
一切衆生の身口意業所修の解行、かならず須(すべから)く真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。(散善義 P.455)

宗祖読み

欲明一切衆生身口意業 所修解行 必須真実心中作。不得外現賢善精進之相 内懐虚仮。
一切衆生の身口意業の所修の解行、かならず真実心のうちになしたまへるを須(もち)ゐんことを明かさんと欲ふ。外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて (信巻 P.217)

「かならず真実心のうちになしたまへるを須(もち)ゐ」る、と訓まれて、阿弥陀如来の真実心をもちいることが真実であるとされた。凡夫は内に虚仮を懐いているからである。