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いっせんだい

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

一闡提

 梵語イッチャンティカ(icchantika)の音写。一闡底迦(いっせんていか)一顛迦(いってんか)ともいい、略して闡提ともいう。断善根(だんぜんごん)信不具足(しんふぐそく)と漢訳する。

世俗的な快楽を追求するのみで正法を信ぜず、さとりを求める心がなく成仏することのできない衆生のこと。浄土教では、これらのものも回心(えしん)すれば往生することができると説く。→三機(さんき)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『涅槃経』に、

云何罪人 謂一闡提。一闡提者 不信因果 無有慚愧 不信業報。不見現在及未來世 不親善友 不隨諸佛所説教誡。如是之人 名一闡提。諸佛世尊 所不能治。
云何(いか)んが罪人一闡提と謂ふ。一闡提とは因果を信ぜず、慚愧有ること無く業報を信ぜず。現在及び未来世を見ず、善友に親しまず、諸仏所説の教誡に随はず。是の如きの人を一闡提と名づく。諸仏世尊の能く治せざる所なり。
何以故。如世死屍 醫不能治 一闡提者 亦復如是。諸佛世尊 所不能治。
何を以つての故に。世の死屍、医の治すること能はざるが如く、一闡提の者もまた是の如し。諸仏世尊の治すること能はざる所なり。(*)

とある。御開山は「信巻末」で、阿闍世の回心を述べ『法事讃』を引いて、

仏願力をもつて、五逆と十悪と罪滅し生ずることを得しむ。謗法・闡提、回心すればみな往く。(信巻 P.303)

と、闡提も回心すれば仏願力によって往生が可能だとされておられた。

たとへば…治すべからず