操作

トーク

一向専念無量寿仏

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

一向専念無量寿仏

『無量寿経』下巻の三輩段に、

 仏、阿難に告げたまはく、「十方世界の諸天・人民、それ心を至して、かの国に生れんと願ずることあらん。おほよそ三輩あり。」(*)

と、浄土往生を願う者を三種に分けて説く以下の文が「一向専念無量寿仏」という言葉の出拠。文言が漢文なので漢文へリンクした。読下しや現代語はリンク先の当該科段番号をクリックされたし。

其上輩者、 捨家、棄欲、而作沙門、発菩提心、一向専念無量寿仏、修諸功徳、願生彼国。{中略}(*)
其中輩者、十方世界諸天・人民、其有至心、願生彼国。雖不能行作沙門 大修功徳、当発無上菩提之心、一向専念無量寿仏。{中略}(*)
其下輩者、十方世界諸天・人民、其有至心、欲生彼国。仮使不能作諸功徳、当発無上菩提之心、一向専意、乃至十念、念無量寿仏、願生其国。{中略}(*)

「一向専念無量寿仏」とは、「一向にもつぱら無量寿仏を念じ」ること(意業)であるが、この念じるとは、「一向専称弥陀仏名(一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむる)」こと(口業)であるとされたのは善導大師であった。名を称するのであるから称名の意である。
もちろん名号を称するということは、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』易行品に、

もし菩薩この身において阿惟越致地に至ることを得て、阿耨多羅三藐三菩提を成就せんと欲せば、まさにこの十方諸仏を念じ、その名号を称すべし。 『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」のなかに説きたまふがごとし。 (*)

と、あるように仏道の身口意の行業体系の中の一ではあった。

さて、善導大師が、この『無量寿経』の「一向専念無量寿仏」を称名であるとみられたのは、『観経』の流通分の文の意からである。『観経』では定善散善を説くのだが、その『観経』の教旨を未来に流通される段で、阿難に対して、

仏告阿難 汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名(*)
(仏阿難に告げたまはく、〈なんぢよくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持(たも)てとなり〉)

とある「無量寿仏の名を持て」の文による。この文を善導大師は『観経疏』散善義で、

上来雖説定散両門之益 望仏本願意在衆生 一向専称弥陀仏名
(上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。(*)

と、釈尊の『観経』の説法は、阿弥陀如来の本願の意に望めて、「一向専称弥陀仏名(一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり)」と、名号付属を説かれたと見られたのである。「この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」とは、当然、名を持(たも)つのであるから称名である。

このように善導大師は『観経』の中に、無量寿仏(阿弥陀仏)の本願の意を明かされた。
そして、『観念法門』p.630では、『無量寿経』の本願文を釈し、

又言摂生増上縁者 即如無量寿経四十八願中説。仏言若我成仏 十方衆生 願生我国 称我名字下至十声 乗我願力 若不生者 不取正覚。{中略}
 また摂生増上縁といふは、すなはち『無量寿経』(上・意)の四十八願のなかに説きたまふがごとし。「仏のたまはく、〈もしわれ成仏せんに、十方 の衆生、わが国に生ぜんと願じて、わが名字を称すること、下十声に至るまで、 わが願力に乗じて、もし生ぜずは、正覚を取らじ〉」(第十八願)と。(*)

と、乃至十念を下至十声と釈し、《念》とは、称名の《声》であるとされておられる。[1]
つづいて、『無量寿経』下巻の三輩段の一向専念無量寿仏を専念無量寿仏名と釈されている。

又此経下巻初云 仏説 一切衆生根性不同 有上中下。随其根性 仏皆勧 専念無量寿仏名
 またこの『経』(大経)の下巻(意)の初めにのたまはく、「仏説きたまはく、 〈一切衆生の根性不同にして上・中・下あり。その根性に随ひて、仏(釈尊)、みな勧めてもつぱら無量寿仏の名を念ぜしめたまふ〉。」(*)

『無量寿経』下巻の上・中・下の三輩の「一向専念無量寿仏」の《専念》とは、専念無量寿仏名の《専称名》を勧められたとされたのである。[2]

なお、法然聖人は『選択集』三輩章で、この『観念法門』の文を引いて無量寿経の三輩について考察されておられる。

 わたくしに問ひていはく、上輩の文のなかに、念仏のほかにまた捨家棄欲等の余行あり。中輩の文のなかに、また起立塔像等の余行あり。下輩の文のなかに、また菩提心等の余行あり。なんがゆゑぞただ念仏往生といふや。
 答へていはく、善導和尚の『観念法門』にいはく、「またこの『経』(大経)の下巻の初めにのたまはく、〈仏(釈尊)、一切衆生の根性の不同を説きたまふに、上・中・下あり。
 その根性に随ひて、仏、みなもつぱら無量寿仏の名を念ぜよと勧めたまふ。その人命終らんと欲する時、仏(阿弥陀仏)、聖衆とみづから来りて迎接したまひて、ことごとく往生を得しめたまふ〉」と。この釈の意によるに、三輩ともに念仏往生といふ。(*)

と、問答を設けて念仏と諸行について、廃立、助正、傍正の三つの観点から解釈されておられる。
当然、法然聖人にとっては、この前段の「本願章」念声是一釈[3]において、

 答へていはく、念・声は是一なり。なにをもつてか知ることを得る。『観経』の下品下生にのたまはく、「声をして絶えざらしめて、十念を具足して、〈南無阿弥陀仏〉と称せば、仏の名を称するがゆゑに、念々のうちにおいて八十億劫の生死の罪を除く」と。
 いまこの文によるに、声はこれ念なり、念はすなはちこれ声なり。その意明らけし。(*)

と、『観経』下下品の「令声不絶 具足十念 称南無阿弥陀仏」から声による南無阿弥陀仏と釈しておられることが判る。まさに五逆罪をおかし、死に瀕して仏を念ずることも出来ない者に「汝若不能念者 応称無量寿仏(汝もし念ずるあたはずは、まさに無量寿仏〔の名〕を称すべし)」の語によって念を《声》と見られての、念仏(称名)と諸行の対判である。なお御開山は、この念仏と諸行の対判を、「行巻」で、念仏諸善比挍対論として論じておられる。(*)

ただし、御開山の場合は『無量寿経』を真実の教とし『観経』には真仮の隠顕を見られる。そして、三輩段は第十九願の意と見られたので解釈が異なりややこしい。いわゆる願海真仮(*)の立場から『観経』は第十九の願を持分として説かれた経であるとみられたのである。それはまた、第十九願の「発菩提心 修諸功徳」の説相から、聖道門の者をして浄土門へ入らしめる誘因の願であるという思し召しもあったのであろう。「散善義」の深心釈で善導大師が『観経』の意を、

また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしめたまふと信ず。(*)

と、示される「人をして欣慕せしめたまふ」の語を、この世での覚りを目指す自力聖道門の修行に行き詰った者へ、往生浄土の他力浄土門を欣慕せしめる言葉であると見られたのであろう。

しかるに、『無量寿経』の第十八願の《乃至十念》を、『観経』下品下生の「至心令声不絶 具足十念称南無阿弥陀仏(心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ)」と合わせて解釈することは、そもそも経典が違うではないかという論難に対しては弱い。
魏訳の『無量寿経』には直接には称名の意をあらわす処はないからである。異訳の『大阿弥陀経』や『平等覺経』にはある。[4]
そこで御開山が着目なさったのは、第十七願であった。第十七願には、

設我得仏 十方世界無量諸仏 不悉咨嗟称我名者 不取正覚。
たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。(*)

とある。しかし、そもそも第十七願は十方世界の無量の諸仏に誓われた願であり、衆生に誓われた願ではない。しかるに、この第十七願は、第十八願の「乃至十念」が称名であり、その称えられる南無阿弥陀仏が往生の業因であることを諸仏が知らしめる願であるとみられたのである。十方世界の無量の諸仏が、十方の衆生に遍くこの第十八願の意を聞かせる願であるとされたのであった。

これはもちろん法然聖人が『三部経大意』(*)で、第十八願を「つぎに名号をもて因として、衆生を引摂せむがために、念仏往生の願をたてたまへり」とし、「その名を往生の因としたまへることを、一切衆生にあまねくきかしめむがために諸仏称揚の願をたてたまへり、第十七の願これなり」とされた意を継承されておられるのである。聖覚法印の『唯信鈔』にも同意の指示がある。[5]

このような発想は『阿弥陀経」の六方段の、

恒河沙数諸仏 各於其国出広長舌相 徧覆三千大千世界 説誠実言 汝等衆生 当信是称讃 不可思議功徳一切諸仏所護念経。
(恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国において、広長の舌相を出し、あまねく三千大千世界に覆ひて、誠実の言を説きたまはく、〈なんぢら衆生、まさにこの不可思議の功徳を称讃したまふ一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし)」(*)

に、依拠されて、第十七願に、十方の諸仏[6]が第十八願の不可思議功徳の乃至十念の称名を勧められたとみられたからであろう。
そもそも、第十七願は諸仏の願であって、菩薩や声聞や縁覚や、まして凡夫のための願ではない。しかし御開山は、本願を信楽した凡夫の口に称えられる名号は、諸仏の位と同じ行であるというので、

大行者則 称無礙光如来名
大行とはすなはち無礙光如来の名を称するなり。(*)

と、大行といわれたのである。なお、ここで御開山が、大行という言葉を使われたのは、御開山が二十年修学しておられた比叡山での天台大師の『摩訶止観』中の大行という言葉が契機であろうと聴いたことがある。
ともあれ、凡夫の口先に称えられている覚束ない称名であるが、それは『摩訶止観』や凡夫が思い描くような行とは全く質と次元が異なる仏の行なのである。凡夫の口先に称えられているようだが、「仏の行ぜ遣めたまふをば、すなはち行ず」る大行であった。仏の行ぜしまたもう仏行である。ゆえに御開山は、

然斯行者 出於大悲願
しかるにこの行は大悲の願より出でたり。(*)

と、されたのであった。行の出処が違うのである。ゆえに正信念仏偈に「本願名号正定業(本願の名号は正定の業なり)」と、往生を正しく定めて下さった行業になるのである。この大行を信知して実践しているのが「称即信」であり「聞即信」であるから、「正定之因唯信心(正定の因はただ信心なり)」とされたのであった。このように、

真実信心 必具名号 名号必不具願力信心也。
真実の信心はかならず名号を具す。名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり。(*)

の、真実信心の名号であるのはあたりまえである。もっとも真実信心を具せざる名号であっても、名号の徳用として化土の浄土への往生の一分の利益を得させるのが第十九願、第二十願の役割ではある。

このようにみてくると、三輩段の「一向専念無量寿仏」の語には、真仮が方便[7]が入り混じっているが、ひとむき(一向)に専ら無量寿仏を念(称名の意)ずることと取れば、御開山の示される化土へ往生させようという、大悲の極みであるとも取れるであろう。
少なくともありもしない信心とやらを妄想し拵えようとする自力信の輩は、本願力回向の行が無いから流転輪廻するのであろう。
たとえ訳が解からなくても、阿弥陀如来の菩提心であるご信心に誓われた、本願力回向のなんまんだぶを称える者は、この世の娑婆が打ち止めであり西方仏国へ往生するのである。御開山が「行巻」で経・論・釈を引文し、その結論として法然聖人の『選択本願念仏集』の文を挙げられて、念仏は本願に選択された行であると定義し、

明知 是非凡聖自力之行。故名不回向之行也。
大小聖人 重軽悪人 皆同斉 応帰 選択大宝海 念仏成仏。
 あきらかに知んぬ、これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。 (*)

と決釈された所以である。それはまた、「信巻」冒頭で、

斯心 即是 出於念仏往生之願。
この心すなはちこれ念仏往生の願より出でたり。(*)

と、される念仏往生の願より出(い)でた、本願力回向の菩提心である信であるから、

世尊我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国。
世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。 (*)

の願作仏心の華のような一心なのである。[8]
御開山は自らの著を『教行証文類』と呼ばれた。そして「信巻」は、行から信を開いたのである。後世の学者は「信別開」とも「行中摂信」とも表現したのであるが、口に称えられる、なんまんだぶを抜きにしては浄土真宗というご法義はあり得ないのであった。法然聖人が、『観経』の三心で深心が大切であるとされたのは、深心には行が説かれているからであった。[9]

一心専念弥陀名号 行住座臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故。
一心に弥陀の名号を専念して、行住座臥、時節の久近を問はず、念々に捨てざるをば、これを正定の業と名づく、かの仏願に順ずるがゆゑに。(*)

法然聖人の回心の契機となった順彼仏願故である。この仏願に順ずる意を《信》によって解釈されたのが御開山の「信文類」であった。そして、それは因に於いては願作仏心であり、果に於いては度衆生心である浄土教の菩提心をあかされるのが「信巻」である。近年の坊主が説くような、金魚すくいのような救いの信を述べておられるのではないのである。
一向専念無量寿仏、実に趣の深い教語ではある。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


  1. 御開山は、この『観念法門』の「摂生増上縁」の文を「行巻」p.169で引文されておられる。なお後段の三輩については引文されておられない。(*)
  2. 御開山は「行文類」で、一念を釈して
     釈(散善義)に「専心」といへるはすなはち一心なり、二心なきことを形すなり。「専念」といへるはすなはち一行なり、二行なきことを形すなり。いま弥勒付属の一念はすなはちこれ一声なり。一声すなはちこれ一念なり。一念すなはちこれ一行なり。
    一行すなはちこれ正行なり。正行すなはちこれ正業なり。正業すなはちこれ正念なり。正念すなはちこれ念仏なり。すなはちこれ南無阿弥陀仏なり。
    とされておられる。
  3. 蓮如上人は、この念声是一を『御一代記聞書』p.1232で、
    (4)一 念声是一といふことしらずと申し候ふとき、仰せに、おもひ内にあればいろ外にあらはるるとあり。されば信をえたる体はすなはち南無阿弥陀仏なり とこころうれば、口も心もひとつなり。
    と、釈しておられる。
  4. 『大阿弥陀経』に、
    仏の言く、なんじ起ちて更た袈裟を被て西に向て拝し、まさに日の所没の処に当りて、阿弥陀仏の爲に礼を作し、頭脳を以て地に著け、南無阿弥陀三耶三仏檀と言え。(*)
    と、あり、『平等覚経』には、
    仏言はく。なんじ起ちて更に袈裟を被て西に向ひて拝し、日の没する処に当りて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て地に著け、南無無量清浄平等覚と言へ。(*)
    と、ある。
  5. 『唯信鈔』p.1340に、
    これによりて一切の善悪の凡夫ひとしく生れ、ともにねがはしめんがために、ただ阿弥陀の三字の名号をとなへんを往生極楽の別因とせんと、五劫のあひだふかくこのことを思惟しをはりて、まづ第十七に諸仏にわが名字を称揚せられんといふ願をおこしたまへり。
    と、第十七願の考察をされている。
  6. 『阿弥陀経』には六方とあるが、玄奘訳の『称讃浄土仏摂受経』には十方の諸仏の讃嘆が説かれている。称讃浄土仏摂受経
  7. 真仮から方便に書き換えた。御開山は「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり 」p.135とされておられるので『無量寿経』には真仮はない。ただし方便はあるのだが、方便は方便であることが判るような説相になっている。例せば、化土の様相をあらわすために「化身土巻」p.379で引文される道場樹は「また無量寿仏のその道場樹は、高さ四百万里なり。その本、周囲五十由旬なり。枝葉四に布きて二十万里なり。」と、非常にアンバランスな表現になっているごとくである。
  8. 御開山は信巻の序で「広蒙三経光沢 特開一心華文(広く三経の光沢を蒙りて、ことに一心の華文を開く。)」 といわれているのに依った。
  9. 『西方指南抄』所収の「十七条御法語」p.132に、
    又云、導和尚、深心を釈せむがために、余の二心を釈したまふ也。経の文の三心をみるに、一切行なし、深心の釈にいたりて、はじめて念仏行をあかすところ也。
    とある。