後生の一大事
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
『蓮如のラディカリズム』大峯顕 p.184
蓮如上人は後生について、はっきりとした言葉でこう言われている。 明応七年十月十八日。これは亡くなる前の年で、八十四歳のときのものである。
後生(ごしょう)といふことは、ながき世まで地獄におつる事なれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思とりて、弥陀の本願をたのみ他力の信心を決定すべし。 「真宗聖教全書」 第五巻、四五八頁)(御文章集成#(二六六))
しかし現代人には、何よりもこの「後生」ということがわかりにくくなってきているのである。 後生というのは何のことか、たしかに説明しにくい。 これは後生(こうせい)のことではない。 後生(こうせい)と いうのはこの世のことで、たとえば私が死んだら家族をはじめ社会や歴史が残る。 これは後生(こうせい)である。死んでしまった私にとっては後に残していくものだから。しかし後生(ごしょう)というのは、後に残すこの世のことではなく、死んでゆく自分の行く先のことをいうのである。われわれはい つも自分を大事にしているようであるけれども、その一番大事な自分の行く先については何も考えていない。自分の死んだ後に会社がどうなるかとか、家族がどうやって生きていくかとか、 そういうことばかり考える。 これは後に残る人々のことのことである。 しかし後生というのは、そんな問題ではない。死んでいくこの自分がどこに行くかという問題である。
この話をあるところでしたら、「今やっとわかりました。 今まで私は死んでも何も心配ないと思っていたが、それは残していく者のことばかり考えていたわけでした」と言う人がいた。 「会社のことは息子に言ってあるし、家内には大事なものをきちんと預けてあるから、後の人たちは私が死んでも何の心配もない、私は安心して死ねると思っていた。 しかしそれは私自身 のことではなくて、私の亡き後に残る家族のこと、要するに他人のことであった。そればかり心配して、後顧の憂いがないようにしてきたが、この私自身がいったいどこに行くのかという ことを、私は今まですこしも考えてこなかった。 今日お話を聞かせてもらって、ああ、そうい うことか、と初めてわかった」と言われた。この方は正直である。「今までわからなかったが、 そういう問題があったのだ。死んでゆくおれはいったいどこへ行くのだろう」と。これが蓮如 上人がいわれる後生の一大事である。
ほかの誰でもないこの私がどこに行くかということが後生の一大事ということなのである。
「蓮如教学」の泰斗である稲城選恵和上からお聞きした後生についての法話で、
山口におきそという三十路(みそじ)を過ぎてなお嫁(とつ)がない浄土真宗の門徒がいた。
おきそ同行は心の変調からか少し頭が足りないと世間で言われている。
そんな、おきそ同行は、毎朝自宅の前を役場へ向かう人力車の村長に声をかけるのが日課だった。両腕を頭の後ろで組んで、
「村長さんは気の毒やなあ」
毎日の事であるから、村長さんも慣れていたのだが、ある日の事少し虫の居所が悪かったのだろう、
「コラッ、おきそ、世間ではお前の事を馬鹿の天保銭のおきそと言っているのを知っているのか、この八文め」
と、人力車を止めておきそ同行を詰問した。
おきそ曰く、
「村長さんは一円銀貨じゃから先が見えん、おきそは八文の穴開き銭(天保銭)じゃから先の後生が見える」
と、言ったそうな。
と、後生が見える「後生の一大事」について語っておられた。
この法話の時代背景。天保銭は鋳造当時から一人前に百文で通用しないので、囃子言葉で馬鹿の八文天保銭と呼ばれた。
蓮如上人の御文章には、
- 「それ、八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり」(八万の法蔵章)
と仰せだが、生死を超えた浄土の世界を後世と定めたおきそ同行の言葉に、村長さんもビックリしただろうな。