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正像末和讃(国宝本)

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

真宗高田派に伝持されてきた「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」の異本。昭和28年に国宝に指定されたので「国宝本」と呼称する。かっては御開山の真筆とされてきたが、一部を除き現在では真仏上人の筆であろうとされる。なお「註釈版」所収の和讃は、蓮如さんが吉崎時代に開版されたものであり、その底本は不明である。
この和讃の表示順は「文明本和讃」との対応の為に「文明本」に従っている。「国宝本」のオリジナルの表示順序は和讃の番号順である。

浄土和讃(国宝本)→原文


正像末和讃

夢告讃

康元二歳丁巳二月九日の夜
寅時夢告にいはく


(三六)
弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
无上覚おばさとるなり

この和讚を、ゆめにおほせをかぶりて、うれしさにかきつけまいらせたるなり。
正嘉元年丁巳閏三月一日
愚禿親鸞 八十五歳 書之

三時讃

(一三)
釈尊かくれましまして
二千余年になりたまふ
正像の二時はおわりにき
如来の遺弟悲泣せよ


(八)
像季・末法の衆生の
行証かなわぬときなれば
釈迦の遺法ことごとく
竜宮にすでにいりたまふ


(三三)
正像末の三時には
弥陀の本願ひろまれり
像季・末法のこのよには
諸善竜宮にいりたまふ


(一四)
『大集経』にのたまはく
このよは第五の五百年
闘諍堅固なるゆへに
白法隠滞したまへり


(二九)
劫濁うつるしるしには
有情やうやく身小なり
衆生濁悪蛇竜にて
悩濁塵数のごとくなり


(三〇)
愛憎違順することは
高峰岳山にことならず
見濁叢林棘刺のごとし
背正帰邪はさかりなり


(三一)
命濁中夭刹那にて
流転生死は須臾なり
如来の悲願を信ぜずは
出離その期もなかるべし


(三二)
九十五種よをけがす
唯仏一道きよくます
菩提に出到してのみぞ
火宅に還来自然なる


(一五)
正法の時機とおもへども
底下の凡愚となれるみは
清浄真実のこゝろなし
発菩提心いかゞせむ


(一六)
自力聖道の菩提心
こゝろもことばもおよばれず
常没流転の凡愚は
いかでか発起せしむべき


(一七)
三恒河沙の諸仏の
出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども
さとりかなはで流転せり


(七)
像末五濁のよとなりて
釈迦の遺教かくれしむ
弥陀の悲願はひろまりて
念仏往生とげやすし


(一八)
浄土の大菩提心は
願作仏心をすゝめしむ
すなわち願作仏心を
度衆生心となづけたり


(一九)
度衆生心といふことは
如来智願の廻向なり
廻向の信楽うるひとは
大般涅槃をさとるなり


(二〇)
如来の廻向に帰入して
願作仏心をうるひとは
自力の廻向をすてはてゝ
利益有情はきわもなし


(二一)
弥陀の智願海水に
他力の信水いりぬれば
真実報土のならひにて
煩悩・菩提一味なり


(二二)
如来二種の廻向を
ふかく信ずる人はみな
等正覚にいたるゆへ
憶念の心はたえぬなり


(二三)
弥陀智願の廻向の
信楽まことにうるひとは
摂取不捨の利益ゆへ
等正覚にはいたるなり


(一)
五十六億七千万
弥勒菩薩はとしをへむ
念仏往生信ずれば
このたびさとりはひらくべし


(二)
念仏往生の願により
等正覚にいたる人
すなわち弥勒におなじくて
大般涅槃をさとるべし


(三)
真実信心をうるゆへに
すなわち定聚にいりぬれば
補処の弥勒におなじくて
无上覚を証すべし


(二四)
像法のときの智人も
自力の諸教をさしおきて
時機相応の法なれば
念仏門にぞいりたまふ


(五)
弥陀の名号となえつゝ
信心まことにうるひとは
憶念の心つねにして
仏恩報ずるおもひあり


(六)
五濁悪世の衆生の
選択本願信ずれば
不可称不可說不可思議の
功徳は信者のみにみてり


(二五)
无㝵光仏ののたまはく
未来の有情利せむとて
大勢至菩薩に
智慧の念仏さづけしむ


(二六)
濁世の有情をあわれみて
勢至念仏すゝめしむ
信心のひとを摂取して
浄土に帰入せしめけり


(一〇)
釈迦・弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ
仏恩報ずるみとはなれ


(一一)
智慧の念仏うることは
法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば
いかでか涅槃をさとらまし


(二七)
无明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ


(二八)
仏力无窮にましませば
罪障深重もおもからず
仏智无辺にましませば
散乱放逸もすてられず


(三四)
如来の作願をたづぬれば
苦悩の衆生をすてずして
廻向を首としたまひて
大悲心おば成就せり


(三七)
真実信心の称名は
如来廻向の法なれば
不廻向となづけてぞ
自力の称念きらはるゝ


(九)
三朝浄土の大師等
哀愍摂受したまひて
真実信心すゝめしめ
定聚のくらゐに帰せしめよ


(三五)
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨をくだきても謝すべし


已上三十四首



(三九)
上宮太子方便し
和国の有情をあわれみて
如来の悲願弘宣せり
慶喜奉讚せしむべし


(四〇)
罪業もとより所有なし
妄想顚倒よりおこる
心性みなもときよければ
衆生すなわち仏なり


(四一)
无明法性ことなれど
心はすなわちひとつなり
この心すなわち涅槃なり
この心すなわち如来なり


(三八)
大日本国粟散王
仏教弘興の上宮皇
恩徳ふかくひろくます
奉讚たえずおもふべし