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疑城胎宮

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

ぎじょうたいぐ

 疑城とは阿弥陀仏浄土のうち、本願を疑う善人(第十九(じゅうく)、二十願の疑心自力の行者)がとどまるところで、方便化土(けど)の異名。

それを胎宮ともいうのは、せっかく浄土に生れても蓮華の中につつまれて、あたかも母の胎内にあるがごとく、五百年の間、に遇わず、法を聞かず、聖衆(しょうじゅ)を見ることができないからである。→仮身土真実報土

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

  • 胎児は一番母親の近くにいながら、母親を観ることが出来ない。疑城胎宮とは仏の国土におりながら仏を観ることが出来ない。そのような存在を疑城胎宮というのであろう。

それはまた、

五百歳のなかにおいてつねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・もろもろの声聞の衆を見ず、仏を供養するによしなし。菩薩の法式を知らず、功徳を修習することを得ず。(大経 P.77)

と「菩薩の法式を知らず」とあるように還相の菩薩のなすべき自利利他の行法を行えないことであった。