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調御丈夫

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

じょうごじょうぶ

 如来十号の一。 →如来 (にょらい)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

調御丈夫(四馬の喩え)

『大般涅槃経』「梵行品之三」

調御丈夫

云何調御丈夫。自既丈夫復調丈夫。

云何(いかんが) 調御(じょうご)丈夫なる。自(おのず)から既に丈夫にして復(ま)た丈夫を調(ととの)ふ。

善男子。言如來者實非丈夫非不丈夫。因調丈夫故 名如來爲丈夫也。善男子。一切男女若具四法則名丈夫。

善男子、如來と言ふは實に丈夫に非ず、不丈夫に非ず。丈夫を調ふるに()るが故に如來を名づけて丈夫と()すなり。善男子、一切の男女 もし四法を具すれば則ち丈夫と名ずく。

何等爲四。一善知識。二能聽法。三思惟義。四如説修行。善男子。若男若女 具是四法 則名丈夫。

何等(なんら)をか四と爲す。一には善知識(ぜん-ぢしき)、二には能聽法(のう-ちょうほう)、三には思惟義(しゆい-ぎ)、四には如説修行(にょせつ-しゅぎょう)なり。善男子、もしは男、もしは女、是の四法を具すれば、則ち丈夫と名づく。

善男子。若有男子無此四法。則不得名爲丈夫也。何以故。身雖丈夫 行同畜生。如來調伏若男若女。是故號佛 調御丈夫。

善男子、もし男子有りて此の四法無きときは、則ち丈夫と名づけることを得ざるなり。何を以ての故に。身丈夫と(いへど)(おこない)畜生に同じ。如來もしは男、もしは女を調伏す。是の故に佛を(なず)けて調御丈夫とす。
四馬の喩え

復次善男子。如御馬者凡有四種。一者觸毛。二者觸皮。三者觸肉。四者觸骨。

また次に善男子、馬を御する者は、おおよそ四種あり。一には毛に觸れ、二には皮に觸れ、三には肉に觸れ、四には骨に觸る。

隨其所觸 稱御者意。如來亦爾。以四種法調伏衆生。

その觸るる所に隨いて、御者の意に稱(かな)うがごとく、如來もまた爾なり。四種の法をもって衆生を調伏す。

一爲説生 令受佛語。如觸其毛隨御者意。

一には爲にを説くに佛語を受けしむ。その毛に觸れて御者の意に隨うがごとし。

二説生老 便受佛語。如觸毛皮隨御者意。

二には生老を説きてすなわち佛語を受けさしむ、毛皮に觸れて御者の意に隨うがごとし。

三者説生及以老病便受佛語。如觸毛皮肉隨御者意。

三にはおよびを説くに、すなわち佛語を受く、毛、皮、肉に觸れて御者の意に隨うがごとし。

四者説生及老病死便受佛語。如觸毛皮肉骨隨御者意。

四にはおよび老・病・死を説きてすなわち佛語を受け、毛、皮、肉、骨に觸れて御者の意に隨うがごとし。

善男子。御者調馬 無有決定。如來世尊 調伏衆生 必定不虚。是故號佛爲調御丈夫。

善男子、御者の馬を調うるは決定あること無し。〔しかし〕如來世尊の衆生を調伏するは必定して虚ならず。この故に佛を調御丈夫と號(なず)く。[1]
『雜阿含経』の四馬の譬えトーク:調御丈夫

  1. ◇仏の十号の「調御丈夫」を説く譬喩。御者の鞭が毛に触れるだけで走り出す馬と、皮を打たれて走る馬、肉を打たれて走る馬、そして鞭が骨に届くほど打たれてようやく走り出す馬の四種。ここでは如来の説法の巧みなことを喩える。