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通夜

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

つや 通夜

「つうや」 ともいう。夜を通して行われる仏事のこと。

Ⅰ 葬送儀礼の一つで、葬儀までの夜毎、もしくは前日に、遺族や有縁の人々が仏前に集まって行われる。浄土真宗では通夜勤行が勤められる。
報恩講の時に夜を通して法義聴聞し、仏徳や親鸞の恩徳を讃嘆することをいう。(浄土真宗辞典)

越前では通夜を夜伽(よとぎ)といったものである。故人の枕辺に座して、死者との娑婆での各種の思い出を語り合い夜を過ごしたものであった。いわば最後のお別れの時間であった。夜伽(よとぎ)では僧侶を招くのではなく村の同行衆がオットメ(正信念仏偈)を唱和した。故人はオットメ(お勤め:勤行)があげられないのでみんなで代わりにオットメをするのだと古老は云っていた。[1]
なお通夜とは逮夜(たいや)ともいい、死者の命日の前日に遺族や有縁の者が仏前で行う仏事を逮夜(たいや)ともいふ。これは追善回向(生きている者が亡くなった人の冥福を祈って行う追福)の想いから派生した行事だが、真宗は、往生即成仏の宗旨であり追善回向の意は重視しない。『歎異抄』第5条に、

一 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁度すべきなりと[云々]。(歎異抄 P.834)

と、あるように孝養(追善供養)ではなく、故人の死をを縁として、自らが生死を超える往生浄土のご法義聴聞する場であるとする。

逮夜

  1. 夜伽のお勤め。かって林遊の在所では村内の最小単位の集まりである垣内(かいち)によるオットメと講によるオットメと村によるオットメと老人会のオットメ、その上に村内で組織されている団体のオットメがあった。ある時、子育て中の女性連から、これでは明朝の子供の世話も出来ないといふ苦情からオットメは一回になった。