「補註2」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
細 |
細 |
||
13行目: | 13行目: | ||
衆生が往生するところの阿弥陀仏の浄土については、「<kana>真仏土巻(しんぶつどかん)</kana>」においてあきらかにされる。すなわち[[第十二願]]、[[第十三願]]に報いて完成された浄土であるから、光明無量、寿命無量の徳の実現している[[真実報土]]である。それゆえ親鸞聖人は、「土はまたこれ無量光明土なり」と、浄土を光明の世界としてあらわされている。光明とは、智慧のはたらきをあらわしているが、智慧が人々を導き救うすがたが大悲方便であるから、浄土とは大悲の顕現した阿弥陀仏のさとりの世界であることはあきらかである。 | 衆生が往生するところの阿弥陀仏の浄土については、「<kana>真仏土巻(しんぶつどかん)</kana>」においてあきらかにされる。すなわち[[第十二願]]、[[第十三願]]に報いて完成された浄土であるから、光明無量、寿命無量の徳の実現している[[真実報土]]である。それゆえ親鸞聖人は、「土はまたこれ無量光明土なり」と、浄土を光明の世界としてあらわされている。光明とは、智慧のはたらきをあらわしているが、智慧が人々を導き救うすがたが大悲方便であるから、浄土とは大悲の顕現した阿弥陀仏のさとりの世界であることはあきらかである。 | ||
− | 前に述べたように真実の証果はこの浄土において完成するのであるが、浄土は[[往相]] | + | 前に述べたように真実の証果はこの浄土において完成するのであるが、浄土は[[往相]]、[[還相]]の二回向があらわれでてくる衆生救済の<kana>淵源(えんげん)</kana>でもある。 |
2005年11月8日 (火) 22:20時点における版
2 往生・真実証・浄土
往生とは、阿弥陀仏の浄土に往き生れることである。阿弥陀仏の浄土は完全に煩悩が
「信巻」(末)に、「念仏の衆生は(中略)臨終一念の
親鸞聖人は「行巻」に、「往生はすなはち難思議往生なり」と示され、また「証巻」の冒頭に「
必至滅度の願とは第十一願であり、その願文には、「たとひわれ仏を得たらんに、国中の
「証巻」に、「つつしんで真実の証を顕さば、すなはちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の
衆生が往生するところの阿弥陀仏の浄土については、「
前に述べたように真実の証果はこの浄土において完成するのであるが、浄土は往相、還相の二回向があらわれでてくる衆生救済の
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。