「金剛心」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | + | 1.<kana>等覚(とうがく)</kana>の<kana>[[菩薩]](ぼさつ)</kana>(菩薩の最高位)の[[智慧]]の境地をいう。等覚の菩薩の智慧は<kana>[[煩悩]](ぼんのう)</kana>を断じ、また、何ものにも破壊されず、堅固不動であるから、金剛に喩える。 | |
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+ | 2.[[阿弥陀仏]]の[[本願]]を信じる心をいう。[[如来]]<kana>[[回向]](えこう)</kana>の信心は、その体は仏智であって、何ものにも破壊されず、堅固不動であるから金剛に喩える。 | ||
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+ | 【左訓】「まことの信心なり」(異本)([[高僧和讃#P--591|高僧 P.591]]) | ||
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2006年3月26日 (日) 16:00時点における版
こんごうしん
1.
2.阿弥陀仏の本願を信じる心をいう。如来
【左訓】「まことの信心なり」(異本)(高僧 P.591)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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