「信の一念」の版間の差分
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2017年9月22日 (金) 21:03時点における版
しん-の-いちねん
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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信心の開け
① 時剋の一念。阿弥陀仏の本願を聞いて疑いなく信受する信心の開け発った最初の時をいう。「信巻」に本願成就文の一念について、「一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり」(信巻 P.250) とある。この極促について2種の解釈がある。一つは「延(のびる)」に対する「促(ちぢまる)」の意で、「ちぢまりきった極限」という意味である。『文類聚鈔』には「往生の心行を獲得する時節の延促について乃至一念といふなり」(浄文 P.480)とある。
もう一つは、「機有奢促者といふは、機に
② 信相の一念。阿弥陀仏の救済を二心(疑心)なく信じることをいう。「信巻」には「一念といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ」(信巻 P.251)とある。(浄土真宗辞典)