「不退転」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2017年10月31日 (火) 08:36時点における版
ふたいてん
【左訓】「ほとけになるまでといふ」→阿毘跋致 (あびばっち) (一多 P.680)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- 不退転
御開山の不退説の根拠となった釈文は、『讃阿弥陀仏偈』の、
- 聞阿弥陀不復退 是故至心稽首礼
- 阿弥陀を聞けば、また退かず。このゆゑに心を至して稽首し礼したてまつる。(讃弥陀偈 P.170)
や、往生礼讃の、
- 真形光明遍法界 蒙光触者心不退
- 真形の光明法界にあまねし、光触を蒙るものは心退せず。 (往生礼讃 P.701)
の「心不退の説」であるといわれている。本願力回向の信心不退である。