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「観無量寿経」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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かんむりょうじゅきょう
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かん-むりょうじゅ-きょう
  
『観無量寿経』▽ 一巻。 劉宋(りゅうそう)の畺良(きょうりょう)(や)舎(しゃ)訳。 『観経』ともいう。 ()闍(じゃ)世(せ)のために王舎城(おうしゃじょう)の奥深く幽閉された韋(い)提(だい)希(け)の請によって、釈尊が王宮に現れ説法されたもの。 十三観にわたる定(じょう)善(ぜん)と、三福(さんぷく)()品(ぼん)の散善(さんぜん)を説き、流(る)通分(ずうぶん)に至って南無阿弥陀仏の名号をたもつことを勧め、後世にこれを伝持せよと付属されている。 法然(ほうねん)上人は 『大経』『小経』とともに本経を浄土三部経の一とし、正依(しょうえ)の経典と定められた。
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『観無量寿経』▽ 一巻。 <kana>劉宋(りゅうそう)</kana>の<kana>畺良(きょうりょう)</kana><kana>耶舎(やしゃ)</kana>訳。 『観経』ともいう。 <kana>[[阿闍世]](あじゃせ)</kana>のために<kana>[[王舎城]](おうしゃじょう)</kana>の奥深く幽閉された<kana>[[韋提希]](いだいけ)</kana>の請によって、釈尊が王宮に現れ説法されたもの。 十三観にわたる<kana>[[定善]](じょうぜん)</kana>と、<kana>[[三福]](さんぷく)</kana><kana>[[九品]](くぼん)</kana>の<kana>[[散善]](さんぜん)</kana>を説き、<kana>流通分(るずうぶん)</kana>に至って南無阿弥陀仏の名号をたもつことを勧め、後世にこれを伝持せよと付属されている。 法然上人は 『大経』『小経』とともに本経を浄土三部経の一とし、正依の経典と定められた。
  
 
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御開山は、『無量寿仏観経』とされておられた。
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:つつしんで化身土を顕さば、仏は『無量寿仏観経』の説のごとし、真身観の仏これなり。土は『観経』の浄土これなり。([[化巻本#P--375|化巻 P.375]])
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→[[無量寿仏観経]]
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[[Category:巻末註]]
 
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2017年11月2日 (木) 08:21時点における版

かん-むりょうじゅ-きょう

『観無量寿経』▽ 一巻。 劉宋(りゅうそう)畺良(きょうりょう)耶舎(やしゃ)訳。 『観経』ともいう。 阿闍世(あじゃせ)のために王舎城(おうしゃじょう)の奥深く幽閉された韋提希(いだいけ)の請によって、釈尊が王宮に現れ説法されたもの。 十三観にわたる定善(じょうぜん)と、三福(さんぷく)九品(くぼん)散善(さんぜん)を説き、流通分(るずうぶん)に至って南無阿弥陀仏の名号をたもつことを勧め、後世にこれを伝持せよと付属されている。 法然上人は 『大経』『小経』とともに本経を浄土三部経の一とし、正依の経典と定められた。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

御開山は、『無量寿仏観経』とされておられた。

つつしんで化身土を顕さば、仏は『無量寿仏観経』の説のごとし、真身観の仏これなり。土は『観経』の浄土これなり。(化巻 P.375)

無量寿仏観経