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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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じっさい
 
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 真実の際限という意で涅槃の異名。ここでは身心ともに完全に無に帰する小乗の無余涅槃(<ruby><rb>灰身滅智</rb><rp>(</rp><rt>けしんめっち</rt><rp>)</rp></ruby>)のこと。空理に入ったが、かえってその空にとらわれて有の差別相をみることができない。([[証巻#P--315|証巻 P.315]],[[証巻#P--330|証巻 P.330]], [[真巻#P--359|真巻 P.359]])
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Ⅰ 真実の際限という意で涅槃の異名。ここでは身心ともに完全に無に帰する小乗の無余涅槃(<kana>[[灰身滅智]](けしんめっち)</kana>)のこと。空理に入ったが、かえってその空にとらわれて有の差別相をみることができない。([[証巻#P--315|証巻 P.315]],[[証巻#P--330|証巻 P.330]], [[真巻#P--359|真巻 P.359]])
  
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Ⅱ ここでは、声聞乗の究極的目的であるところの心身ともに滅する[[無余涅槃]]のこと。 ([[浄土論註 (七祖)#P--77|論註P.77]])
  
 ここでは、声聞乗の究極的目的であるところの心身ともに滅する[[無余涅槃]]のこと。 ([[浄土論註 (七祖)#P--77|論註P.77]])
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Ⅲ 真実なる境界。 真如に同じ。 ([[安楽集 (七祖)#P--287|安楽集 P.287]][[往生要集中巻 (七祖)#P--1028|要集 P.1028]])
  
 
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→[[灰身滅智]]

2017年11月8日 (水) 21:28時点における最新版

じっさい

Ⅰ 真実の際限という意で涅槃の異名。ここでは身心ともに完全に無に帰する小乗の無余涅槃(灰身滅智(けしんめっち))のこと。空理に入ったが、かえってその空にとらわれて有の差別相をみることができない。(証巻 P.315,証巻 P.330, 真巻 P.359)

Ⅱ ここでは、声聞乗の究極的目的であるところの心身ともに滅する無余涅槃のこと。 (論註P.77)

Ⅲ 真実なる境界。 真如に同じ。 (安楽集 P.287要集 P.1028)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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灰身滅智