「凡夫入報」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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凡夫が[[報土]]に往生するということ。善導の<kana>古今楷定(ここん-かいじょう)</kana>の内容をあらわした語。→[[古今楷定]] | 凡夫が[[報土]]に往生するということ。善導の<kana>古今楷定(ここん-かいじょう)</kana>の内容をあらわした語。→[[古今楷定]] | ||
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:問ひていはく、かの仏および土すでに報といはば、報法は高妙にして、小聖すら階ひがたし。 垢障の凡夫いかんが入ることを得ん。 | :問ひていはく、かの仏および土すでに報といはば、報法は高妙にして、小聖すら階ひがたし。 垢障の凡夫いかんが入ることを得ん。 | ||
:答へていはく、もし衆生の垢障を論ぜば、実に欣趣しがたし。 まさしく仏願に託してもつて強縁となすによりて、五乗をして斉しく入らしむることを致す。 ([[観経疏 玄義分 (七祖)#P--330|玄義分 P.330]]) ([[真巻#P--368|真巻 P.368で引文]]) | :答へていはく、もし衆生の垢障を論ぜば、実に欣趣しがたし。 まさしく仏願に託してもつて強縁となすによりて、五乗をして斉しく入らしむることを致す。 ([[観経疏 玄義分 (七祖)#P--330|玄義分 P.330]]) ([[真巻#P--368|真巻 P.368で引文]]) |
2018年1月19日 (金) 19:29時点における版
聖道門の諸師は凡夫は高位の「報土」へ往生することは不可であるとされた。この説に対して、善導大師は仏願力に乗託するから凡夫が報土に往生できるとされた。これを凡夫入報説といふ。
- 問ひていはく、かの仏および土すでに報といはば、報法は高妙にして、小聖すら階ひがたし。 垢障の凡夫いかんが入ることを得ん。
- 答へていはく、もし衆生の垢障を論ぜば、実に欣趣しがたし。 まさしく仏願に託してもつて強縁となすによりて、五乗をして斉しく入らしむることを致す。 (玄義分 P.330) (真巻 P.368で引文)
法然聖人は、浄土宗立宗の意趣として『醍醐本法然上人伝記』で、
- ある時にいわく。我、浄土宗を立つる意趣は、凡夫往生を示さんが為なり。もし天台の教相に依らば凡夫往生を許すに似たりといえども、浄土を判ずること至りて浅薄なり。もし法相の教相に依らば浄土を判ずること甚だ深しといえども、全く凡夫往生を許さざるなり。諸宗の談ずる所、異なるといえども、すべて凡夫の浄土に生まると云ふ事を許さず。
- ゆえに善導の釈義に依って、浄土宗を興す時、即ち凡夫報土に生るという事を顕さんとなり。(醍醐本法然上人伝記)
と、浄土宗別立の意は、凡夫入報をあらわすためであるとせられたいた。→四種浄土