「七深信」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2020年8月25日 (火) 07:55時点における最新版
しちじんしん
「散善義」の深心釈によって、深信の相を七種に分けて示す。(愚禿下 P.521)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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「散善義」で深信を二種あげたあとで「又」という字によって深信を釈されているのを七つに分けたもの。
文の意を案ずるに、深信について七深信あり、六決定あり。
第一の機の深信を「自利の信心」とされておられるのは、第二の法の深信と一具でなければ自力の信になるとみられたのであろう。→自利の信心
なお、第三の「観経深信」と第四の「弥陀経深信」は真仮の隠顕が立つので「信巻」「化巻」の両巻で引文されておられるが、第七の自心建立の深信は「化巻」のみで引文されておられる。「自心を建立」の語に自力の意をみられたから「化巻」だけで引文されたのであろう。なお第六深信は〔なんまんだぶ〕という行を深信することを示しているから「信巻」で引文されたのであろう。『観経』の真実とは「名号付属釈」にある、
- 上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。(散善義 P.500)
にあるからである。
- →『観経疏』三心釈の分引
- →二種深信
- →自利の信心
- →欣慕の釈
- →第五