「顕浄土真実教文類」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | : つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の[[回向]] | + | : つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の[[回向]]あり。一つには[[往相]]、二つには[[還相]]なり。往相の回向について真実の'''教行信証'''あり。 |
+ | ====経体を指定する==== | ||
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− | : | + | : それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。 |
+ | ====正しく大意を明かす==== | ||
+ | :この経の大意は、<b>弥陀</b>、誓を超発して、広く[[法蔵]]を開きて、凡小を哀れんで選んで[[功徳の宝]]を施することを致す。<b>釈迦</b>、世に出興して、[[道教]]を[[光闡]]して、群萌を拯ひ恵むに[[真実の利]]をもつてせんと欲すなり。 | ||
+ | ====宗体を決示する==== | ||
+ | :ここをもつて{{DotUL|如来の本願を説きて経の[[宗致]]とす、すなはち仏の名号をもつて経の[[体]]とするなり。}} | ||
+ | ====微起 釈尊出世の本意==== | ||
:なにをもつてか[[出世の大事]]なりと知ることを得るとならば、 | :なにをもつてか[[出世の大事]]なりと知ることを得るとならば、 | ||
− | [[現代語 教巻#A--3|【3】]] | + | ===出 文=== |
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+ | [[現代語 教巻#A--3|【3】]] 『大無量寿経』([[仏説 無量寿経 (巻上)#no3|上 八)]]にのたまはく、「〈今日世尊、[[諸根悦予]]し、姿色清浄にして[[光顔巍々]]とましますこと、あきらかなる鏡の浄き影、表裏に暢るがごとし。[[威容顕曜]]にして超絶したまへること無量なり。いまだかつて[[瞻覩]]せず、<span id="P--136"></span>殊妙なること今のごとくましますをば。 | ||
[[ややしかなり]]。大聖、わが心に念言すらく、今日世尊、奇特の法に住したまへり。今日[[世雄]]、仏の所住に住したまへり。今日[[世眼]]、導師の行に住したまへり。今日[[世英]]、最勝の道に住したまへり。今日[[天尊]]、如来の徳を行じたまへり。[[去・来・現]]の仏、仏と仏とあひ念じたまへり。いまの仏も諸仏を念じたまふことなきことを得んや。なんがゆゑぞ威神の光、光いまししかる〉と。 | [[ややしかなり]]。大聖、わが心に念言すらく、今日世尊、奇特の法に住したまへり。今日[[世雄]]、仏の所住に住したまへり。今日[[世眼]]、導師の行に住したまへり。今日[[世英]]、最勝の道に住したまへり。今日[[天尊]]、如来の徳を行じたまへり。[[去・来・現]]の仏、仏と仏とあひ念じたまへり。いまの仏も諸仏を念じたまふことなきことを得んや。なんがゆゑぞ威神の光、光いまししかる〉と。 | ||
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ここに世尊、阿難に告げてのたまはく、諸天のなんぢを教へて来して仏に問はしむるや、みづから慧見をもつて威顔を問へるや〉と。阿難、仏にまうさく、〈諸天の来りてわれを教ふるものあることなけん。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるならくのみ〉と。 | ここに世尊、阿難に告げてのたまはく、諸天のなんぢを教へて来して仏に問はしむるや、みづから慧見をもつて威顔を問へるや〉と。阿難、仏にまうさく、〈諸天の来りてわれを教ふるものあることなけん。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるならくのみ〉と。 | ||
− | 仏ののたまはく、〈善いかな阿難、問へるところはなはだ快し。深き智慧、[[真妙の弁才]]を発して、衆生を愍念せんとしてこの[[慧義]]を問へり。 | + | 仏ののたまはく、〈善いかな阿難、問へるところはなはだ快し。深き智慧、[[真妙の弁才]]を発して、衆生を愍念せんとしてこの[[慧義]]を問へり。{{DotUL|如来[[無蓋の大悲]]をもつて三界を[[矜哀]]したまふ。世に出興するゆゑは、[[道教]]を光闡して、群萌を拯ひ恵むに'''[[真実の利]]'''をもつてせんと欲してなり。}}無量億劫に値ひがたく見たてまつりがたきこと、なほし[[霊瑞華]]の時ありて時にいまし出づるがごとし。いま問へるところは[[饒益]]するところ多し、一切の諸天・人民を開化す。阿難まさ<span id="P--137"></span>に知るべし、如来の正覚は、その智量りがたくして、導御したまふところ多し。[[慧見無碍]]にしてよく[[遏絶]]することなし〉」と。{以上} |
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+ | [[現代語 教巻#A--4|【4】]] 『無量寿如来会』(上[[無量壽如來會#教巻引文(4)|*]])にのたまはく、「阿難、仏にまうしてまうさく、〈世尊、われ如来の[[光瑞]]希有なるを見たてまつるがゆゑにこの念を発せり。天等によるにあらず〉と。仏、阿難に告げたまはく、〈善いかな善いかな、なんぢいま快く問へり。よく微妙の弁才を観察して、よく如来に如是の義を問ひたてまつれり。なんぢ'''一切'''如来・[[応]]・[[正等覚]]および大悲に安住して群生を利益せんがために、優曇華の希有なるがごとくして[[大士]]世間に出現したまへり。ゆゑにこの義を問ひたてまつる。またもろもろの有情を哀愍し[[利楽]]せんがためのゆゑに、よく如来に如是の義を問ひたてまつれり〉」と。{以上} | ||
− | + | ====『平等覚経』==== | |
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+ | [[現代語 教巻#A--5|【5】]] 『平等覚経』(一[[無量淸淨平等覺經#教巻引文(5)|*]])にのたまはく、「仏、阿難に告げたまはく、〈世間に[[優曇鉢樹]]あり、ただ実ありて華あることなし。天下に仏まします、いまし華の出づるがごとしならくのみ。世間に仏ましませどもはなはだ値ふことを得ること難し。いまわれ仏になりて天下に出でたり。[[なんぢ]]大徳ありて、聡明善心にして、あらかじめ仏意を知る。なんぢ忘れずして仏辺にありて仏に侍へたて<span id="P--138"></span>まつるなり。なんぢいま問へるところ、よく聴き、あきらかに聴け〉」と。{以上} | ||
− | + | ===師 釈=== | |
+ | ====憬興『述文賛』==== | ||
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+ | [[現代語 教巻#A--6|【6】]] [[憬興]]師のいはく([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/T1748_,37,0146b17:1748_,37,0147b13.html 述文賛])、「〈今日世尊住奇特法〉といふは、[[神通輪]]によりて現じたまふところの相なり。ただつねに異なるのみにあらず。また等しきものなきがゆゑに。]〈今日世雄住仏所住〉といふは、[[普等三昧]]に住して、[[よく衆魔雄健天を制するがゆゑに]]。〈今日世眼住導師行〉といふは、[五眼を導師の行と名づく。衆生を引導するに過上なきがゆゑに。]〈今日世英住最勝道〉といふは、[仏、[[四智]]に住したまふ。独り秀でたまへること、匹しきことなきがゆゑに。]〈今日天尊行如来徳〉といふは、[すなはち[[第一義天]]なり。[[仏性不空]]の義をもつてのゆゑに。]〈阿難当知如来正覚〉といふは、[すなはち奇特の法なり。]〈慧見無碍〉といふは、[最勝の道を述するなり。]〈無能遏絶〉といふは、[すなはち如来の徳なり]」と。{以上} | ||
+ | ===決 示=== | ||
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[[現代語 教巻#A--7|【7】]] | [[現代語 教巻#A--7|【7】]] | ||
: しかればすなはち、これ真実の教を顕す明証なり。まことにこれ、如来興世の正説、奇特最勝の妙典、[[一乗究竟の極説]]、速疾円融の金言、十方称讃の誠言、時機純熟の真教なりと、知るべしと。 | : しかればすなはち、これ真実の教を顕す明証なり。まことにこれ、如来興世の正説、奇特最勝の妙典、[[一乗究竟の極説]]、速疾円融の金言、十方称讃の誠言、時機純熟の真教なりと、知るべしと。 | ||
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目 次
教文類一
大無量寿経 | 真実の教 |
浄土真宗 |
真実の教を顕す 一
真実の行を顕す 二
真実の信を顕す 三
真実の証を顕す 四
真仏土を顕す 五
化身土を顕す 六
顕浄土真実教文類 一
真宗大綱
法門を開拓する【真宗大綱】
経体を指定する
- それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。
正しく大意を明かす
宗体を決示する
微起 釈尊出世の本意
- なにをもつてか出世の大事なりと知ることを得るとならば、
出 文
『大 経』
【3】 『大無量寿経』(上 八)にのたまはく、「〈今日世尊、諸根悦予し、姿色清浄にして光顔巍々とましますこと、あきらかなる鏡の浄き影、表裏に暢るがごとし。威容顕曜にして超絶したまへること無量なり。いまだかつて瞻覩せず、殊妙なること今のごとくましますをば。
ややしかなり。大聖、わが心に念言すらく、今日世尊、奇特の法に住したまへり。今日世雄、仏の所住に住したまへり。今日世眼、導師の行に住したまへり。今日世英、最勝の道に住したまへり。今日天尊、如来の徳を行じたまへり。去・来・現の仏、仏と仏とあひ念じたまへり。いまの仏も諸仏を念じたまふことなきことを得んや。なんがゆゑぞ威神の光、光いまししかる〉と。
ここに世尊、阿難に告げてのたまはく、諸天のなんぢを教へて来して仏に問はしむるや、みづから慧見をもつて威顔を問へるや〉と。阿難、仏にまうさく、〈諸天の来りてわれを教ふるものあることなけん。みづから所見をもつてこの義を問ひたてまつるならくのみ〉と。
仏ののたまはく、〈善いかな阿難、問へるところはなはだ快し。深き智慧、真妙の弁才を発して、衆生を愍念せんとしてこの慧義を問へり。如来無蓋の大悲をもつて三界を矜哀したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。無量億劫に値ひがたく見たてまつりがたきこと、なほし霊瑞華の時ありて時にいまし出づるがごとし。いま問へるところは饒益するところ多し、一切の諸天・人民を開化す。阿難まさに知るべし、如来の正覚は、その智量りがたくして、導御したまふところ多し。慧見無碍にしてよく遏絶することなし〉」と。{以上}
『如来会』
【4】 『無量寿如来会』(上*)にのたまはく、「阿難、仏にまうしてまうさく、〈世尊、われ如来の光瑞希有なるを見たてまつるがゆゑにこの念を発せり。天等によるにあらず〉と。仏、阿難に告げたまはく、〈善いかな善いかな、なんぢいま快く問へり。よく微妙の弁才を観察して、よく如来に如是の義を問ひたてまつれり。なんぢ一切如来・応・正等覚および大悲に安住して群生を利益せんがために、優曇華の希有なるがごとくして大士世間に出現したまへり。ゆゑにこの義を問ひたてまつる。またもろもろの有情を哀愍し利楽せんがためのゆゑに、よく如来に如是の義を問ひたてまつれり〉」と。{以上}
『平等覚経』
【5】 『平等覚経』(一*)にのたまはく、「仏、阿難に告げたまはく、〈世間に優曇鉢樹あり、ただ実ありて華あることなし。天下に仏まします、いまし華の出づるがごとしならくのみ。世間に仏ましませどもはなはだ値ふことを得ること難し。いまわれ仏になりて天下に出でたり。なんぢ大徳ありて、聡明善心にして、あらかじめ仏意を知る。なんぢ忘れずして仏辺にありて仏に侍へたてまつるなり。なんぢいま問へるところ、よく聴き、あきらかに聴け〉」と。{以上}
師 釈
憬興『述文賛』
【6】 憬興師のいはく(述文賛)、「〈今日世尊住奇特法〉といふは、神通輪によりて現じたまふところの相なり。ただつねに異なるのみにあらず。また等しきものなきがゆゑに。]〈今日世雄住仏所住〉といふは、普等三昧に住して、よく衆魔雄健天を制するがゆゑに。〈今日世眼住導師行〉といふは、[五眼を導師の行と名づく。衆生を引導するに過上なきがゆゑに。]〈今日世英住最勝道〉といふは、[仏、四智に住したまふ。独り秀でたまへること、匹しきことなきがゆゑに。]〈今日天尊行如来徳〉といふは、[すなはち第一義天なり。仏性不空の義をもつてのゆゑに。]〈阿難当知如来正覚〉といふは、[すなはち奇特の法なり。]〈慧見無碍〉といふは、[最勝の道を述するなり。]〈無能遏絶〉といふは、[すなはち如来の徳なり]」と。{以上}
決 示
- しかればすなはち、これ真実の教を顕す明証なり。まことにこれ、如来興世の正説、奇特最勝の妙典、一乗究竟の極説、速疾円融の金言、十方称讃の誠言、時機純熟の真教なりと、知るべしと。
顕浄土真実教文類 一
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社) |