「三在釈」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | [[五逆]]・[[十悪]]等の罪業と『観経』下品下生([[観経#下品下生|註 115]]) に説かれる[[十念]] | + | [[五逆]]・[[十悪]]等の罪業と『観経』下品下生([[観経#下品下生|註 115]]) に説かれる[[十念]]との軽重を[[在心]]・[[在縁]]・<kana>在決定(けつじょう)</kana>の三義によって比較し、[[罪業]]より[[十念]]のほうが重いことを明らかにした釈のこと。『論註』[[八番問答]]([[信巻末#P--299|信巻引文 註 299]]) の中、第六問答に説かれる。在心とは、[[罪業]]は誤った[[見解]]を拠り処とし、[[十念]]は[[名号]]を聞くことによって生じることをいう。在縁とは、罪業は妄想の心と真実に背いている衆生によって生じ、[[十念]]は[[信心]]と[[名号]]とによって生じていることをいう。在決定とは、罪業は雑念のまじった心によって生じ、十念は専念の心によって生じることをいう。[[曇鸞]]はこの釈をもって、十念の念仏によって[[五逆]]・[[十悪]]のものも迷いの世界を離れ[[浄土]]へ[[往生]]することができると示し、『観経』に説かれる[[十念]]による[[往生]]が、[[業道経]]に説かれる[[先牽の義]]・[[繋業の義]]に反しないことを述べている。(浄土真宗辞典) |
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2024年2月8日 (木) 12:17時点における最新版
さんざいしゃく 三在釈
五逆・十悪等の罪業と『観経』下品下生(註 115) に説かれる十念との軽重を在心・在縁・