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「塵点久遠劫」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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無限の過去 ([[浄土和讃#P--566|浄土 P.566]])
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じんでんくおんごう 塵点久遠劫
 
じんでんくおんごう 塵点久遠劫
  
 無限の過去のこと。塵点とは塵点劫のことで、久遠劫というはかりしれない時間を譬喩で表した語。『浄土和讃』に「塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ」とあり、『法華経』化城喩品の三千塵点劫の説に基づいて、「国宝本」 左訓には 「一大三千界を墨にして、この墨を筆の先にちとつけて、国一つにちとつけ、国一つにちとつけて、つけつくして、この塵の数をかずへつもりたるを塵点久遠劫といふなり」 とある。→[[十劫久遠]]。(浄土真宗辞典)
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 無限の過去のこと。塵点とは塵点劫のことで、久遠劫というはかりしれない時間を譬喩で表した語。『浄土和讃』に「塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ」([[浄土和讃#no55|浄土 P.566]])とあり、『法華経』化城喩品の三千塵点劫の説に基づいて、「国宝本」 [[左訓]]には 「一大三千界を墨にして、この墨を筆の先にちとつけて、国一つにちとつけ、国一つにちとつけて、つけつくして、この塵の数をかずへつもりたるを塵点久遠劫といふなり」 とある。→[[十劫久遠]]。(浄土真宗辞典)
 
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*御開山は76歳ごろから『[[法華経]]』の[[久遠実成]]説から『論註』の[[二種法身]]説を説かれた。
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*御開山は76歳ごろから『[[法華経]]』の[[久遠実成]]説から『論註』の[[二種法身]]説を説かれた。→『[[唯信鈔文意]]』 →『[[一念多念証文]]』
 
:→[[二種法身]]
 
:→[[二種法身]]
 
:→[[五百塵点劫]]
 
:→[[五百塵点劫]]

2024年9月19日 (木) 23:43時点における最新版

じんでん-くおんごう

 無限の過去 (浄土 P.566)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

じんでんくおんごう 塵点久遠劫

 無限の過去のこと。塵点とは塵点劫のことで、久遠劫というはかりしれない時間を譬喩で表した語。『浄土和讃』に「塵点久遠劫よりも ひさしき仏とみえたまふ」(浄土 P.566)とあり、『法華経』化城喩品の三千塵点劫の説に基づいて、「国宝本」 左訓には 「一大三千界を墨にして、この墨を筆の先にちとつけて、国一つにちとつけ、国一つにちとつけて、つけつくして、この塵の数をかずへつもりたるを塵点久遠劫といふなり」 とある。→十劫久遠。(浄土真宗辞典)

二種法身
五百塵点劫