「行住坐臥」の版間の差分
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+ | ぎょうじゅうざが 行住坐(座)臥 | ||
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+ | 行は歩くこと、住はとどまること、坐はすわること、臥は臥(ふ)すこと。 また、いつも、常にという意味にも用いる。『一多文意』では | ||
+ | :「行住座臥 不問時節久近といふは、「行」 はあるくなり、「住」 はたたるなり、「座」 はゐるなり、「臥」 はふすなり」([[P:687|註 687]]) | ||
+ | と示されている。 →[[四威儀]]。(浄土真宗辞典) | ||
+ | }} | ||
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+ | *行住座臥 不問時節久近(行住座臥、時節の久近を問わず) | ||
+ | *念仏は時間を超越した衆生[[救済]]の'''[[法]]'''であるから「不問時節久近」と時間は論じない。 | ||
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+ | [[Category:追記]]<p id="page-top">[[#|▲]]</p> |
2024年3月17日 (日) 20:40時点における最新版
ぎょうじゅうざが
歩くこと、とどまること、すわること、臥すこと。(選択本願念仏集 P.1192、選択本願念仏集 P.1194、選択集 P.1233、序分義 P.382、散善義 P.463、散善義 P.470、安楽集 P.292、定善義 P.399、定善義 P.408、定善義 P.417、定善義 P.427、定善義 P.434、往生礼讃 P.660、往生礼讃 P.699、往生礼讃 P.711、要集 P.982、要集 P.1004、要集 P.1067、要集 P.1096、要集 P.1131、法事讃 P.535)