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「定散六種兼行」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 五正行の第五<kana>讃嘆供養(さんだんくよう)</kana>を開いて六種とし、この六行を自力心をもって雑え修することを六種兼行といい、<kana>雑修(ざっしゅ)</kana>の部類に属する。 ([[愚禿下#P--530|愚禿下P.530]])
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 五正行の第五<kana>讃嘆供養(さんだんくよう)</kana>を開いて六種とし、この六行を自力心をもって雑え修することを六種兼行といい、<kana>雑修(ざっしゅ)</kana>の部類に属する。 ([[愚禿下#no72|愚禿下P.530]])
  
 
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2021年11月12日 (金) 23:27時点における最新版

じょうさんろくしゅけんぎょう

 五正行の第五讃嘆供養(さんだんくよう)を開いて六種とし、この六行を自力心をもって雑え修することを六種兼行といい、雑修(ざっしゅ)の部類に属する。 (愚禿下P.530)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

たんに五正行(読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養)の讃嘆供養を開いて六種とするなら、定散六種兼行の定散の意味が出ない。
ノート:定散六種兼行

◆ 参照読み込み (transclusion) ノート:定散六種兼行

『愚禿鈔』の、

【72】

上よりこのかた定散六種兼行するがゆゑに雑修といふ、これを助業と 名づく、名づけて方便仮門となす、また浄土の要門と名づくるなりと、知るべし。(愚禿下 P.530)

の「定散六種兼行」とは、前段の、

【66】
 また弥陀念仏について、二種あり。

一には正行定心念仏、
二には正行散心念仏なり。
 弥陀定散の念仏、これを浄土の真門といふ、また一向専修と名づくるなりと、知るべし。 (愚禿下 P.529)

で記述される正行定心念仏(観察)と、正行散心念仏(称名)という定散念仏の念仏の二とし、文前の、

【71】

 また正の散行について、四種あり。
読誦   礼拝   讃嘆   供養 (愚禿下 P.530)

の、読誦、礼拝、讃嘆、供養の四と、正行定心念仏と正行散心念仏の二を合わせて、

【72】

上よりこのかた定散六種兼行するがゆゑに雑修といふ、これを助業と 名づく、名づけて方便仮門となす、また浄土の要門と名づくるなりと、知るべし。 (愚禿下 P.530)

と六種(定心念仏、散心念仏、読誦、礼拝、讃嘆、供養)として「定散六種兼行」といい、それを雑修と呼び、それを助業とも方便仮門ともいう、とする。(『顕浄土方便化身土文類講讃』梯實圓著p.359)。

これは、たとえ称名(なんまんだぶ)を行じていても、それが本願によって選択された正定業であることに気づかずに他の四種の読誦礼拝讃嘆供養と同列の次元で専修していることを雑修とも助業とも方便仮門ともいわれたのであった。

愚見だが註釈版の『愚禿鈔』の脚註では、讃嘆供養を開いて六種とするとするが、これでは定散六種兼行という文の《定・散》の意味が出ないと思ふ。
ここは【66】で挙げた五正行中の「観察」を正行定心念仏とし「称名」を正行散心念仏の二とし読誦、礼拝、讃嘆、供養の四を合わせて定散六種兼行とされたのであろう。
法然聖人には、

本願の念仏には、ひとりたちをせさせて助(すけ)をささぬ也。助さす程の人は、極楽の辺地にむまる。すけと申すは、智恵をも助にさし、持戒をもすけにさし、道心をも助にさし、慈悲をもすけにさす也。(『和語灯録』諸人伝説の詞)

という語があるが、念仏(なんまんだぶ)も助業と同列に修するなら「定散六種兼行する雑修」となるのであろう。