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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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{{Kaisetu|
 
{{Kaisetu|
梯實圓著『法然教学の研究』より「廃立と開会」p.129を抜粋。脚注の読み下しは便宜の為に林遊が付した。
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梯實圓著『法然教学の研究』より「廃立と開会」p.129を抜粋。浄土宗西山派では「全分他力説」を説き、非常に浄土真宗と近い教義なのだが開廃会の論理を使用するところが、御開山と異なるので「廃立と開会」の概念理解の為にUPした。脚注の読み下しは便宜の為に林遊が付した。脚注の◇以下は林遊が追記した。
 
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<div id="arc-disp-base">
 
;第四節 廃立と開会
 
;第四節 廃立と開会
  
 
 さて「付属章」では、仏の本願行なるが故に念仏のみを付属すというのならば、本願念仏のみを詳説すればよいのに、何故煩わしく非本願の定散諸善を説かれたのかと問い、それに対して二意をもって答えられる。
 
 さて「付属章」では、仏の本願行なるが故に念仏のみを付属すというのならば、本願念仏のみを詳説すればよいのに、何故煩わしく非本願の定散諸善を説かれたのかと問い、それに対して二意をもって答えられる。
  
: 答曰、本願念仏行、双巻経中委既説<k>レ</k>之、故重不<k>レ</k>説耳、又説<k>二</k>定散<k>一</k>、為<k>レ</k>顕<k>三</k>念仏超<k>二</k>過余善<k>一</k>、若無<k>二</k>定散<k>一</k>、何顕<k>二</k>念仏特秀<k>一</k>、例如<k>三</k>法華秀<k>二</k>三説上<k>一</k>、若無<k>二</k>三説<k>一</k>、何顕<k>二</k>法華第一<k>一</k>、故今定散為<k>レ</k>廃而説、念仏三昧為<k>レ</k>立而説。<ref>『選択集』「付属章」(真聖全一・九八一頁)◇以下は追記: 答へていはく、本願念仏の行は、『双巻経』(大経)のなかに委しくすでにこれを説く。ゆゑにかさねて説かざるのみ。また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。例するに『法華』の三説の上に秀でたるがごとし。もし三説なくは、なんぞ『法華』第一を顕さん。ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。 ([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1271|選択集 P.1271]])</ref>
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: 答曰、本願念仏行、双巻経中委既説<k>レ</k>之、故重不<k>レ</k>説耳、又説<k>二</k>定散<k>一</k>、為<k>レ</k>顕<k>三</k>念仏超<k>二</k>過余善<k>一</k>、若無<k>二</k>定散<k>一</k>、何顕<k>二</k>念仏特秀<k>一</k>、例如<k>三</k>法華秀<k>二</k>三説上<k>一</k>、若無<k>二</k>三説<k>一</k>、何顕<k>二</k>法華第一<k>一</k>、故今定散為<k>レ</k>廃而説、念仏三昧為<k>レ</k>立而説。<ref>『選択集』「付属章」(真聖全一・九八一頁)◇以下は追記: 答へていはく、本願念仏の行は、『双巻経』(大経)のなかに委しくすでにこれを説く。ゆゑにかさねて説かざるのみ。また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。例するに『法華』の三説の上に秀でたるがごとし。もし三説なくは、なんぞ『法華』第一を顕さん。ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。 ([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1271|選択集 P.1271]])</ref>{{SHD|mk1|答へていはく、本願念仏の行は、『双巻経』(大経)のなかに委しくすでにこれを説く。ゆゑにかさねて説かざるのみ。また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。例するに『法華』の三説の上に秀でたるがごとし。もし三説なくは、なんぞ『法華』第一を顕さん。ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。 ([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1271|選択集 P.1271]])}}
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 初は念仏が『観経』で詳説されなかったことについて、それは『大経』で委細に説かれたからであるというのである。尚、廬山寺本では、「念仏三昧為立而説」{{SH3|mk2|念仏三昧は立せんがために説く。}}につづいて『大・観二経』の説時の前後が論じられ、寿前観後と判定されている。もっとも原本はカッコでかこまれているから、省略する意図があったと思うが、この寿前観後説が前提されていないと、初めの答が成立しないから論述されたのであろう。しかし「往生院本」も「延応版」も、いずれも省略されている<ref>廬山寺本『選択本願念仏集』(影印本)、往生院本『選択集』(影印本・一七九頁)、延応版『選択集』(影印本・二一七頁)、尚「観経釈」(古本『漢語灯』二・真聖全四・三〇九頁)の初には『大観二経』の説時前後が述べられ、寿前観後説が確定されている。</ref>。
  
 初は念仏が『観経』で詳説されなかったことについて、それは『大経』で委細に説かれたからであるというのである。尚、廬山寺本では、「念仏三昧為立而説」につづいて『大・観二経』の説時の前後が論じられ、寿前観後と判定されている。もっとも原本はカッコでかこまれているから、省略する意図があったと思うが、この寿前観後説が前提されていないと、初めの答が成立しないから論述されたのであろう。しかし「往生院本」も「延応版」も、いずれも省略されている。<ref>廬山寺本『選択本願念仏集』(影印本)、往生院本『選択集』(影印本・一七九頁)、延応版『選択集』(影印本・二一七頁)、尚「観経釈」(古本『漢語灯』二・真聖全四・三〇九頁)の初には『大観二経』の説時前後が述べられ、寿前観後説が確定されている。</ref>
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 答の第二段は、廃すべき定散を詳説された理由をのべられるのであるが、ここに『法華経』「法師品」十を例証として出される。すなわち経に「我所説経典、無量千万億、已説今説当説而於<k>二</k>其中<k>一</k> 此法華経最為<k>二</k>難<k>レ</k>信難<k>レ</k>解」<ref>『法華経』法師品十(大正蔵九・三一頁)◇ 我れ説く所の経典、無量千万億に、已に説き今説き当に説かん、この中に於いて、此の法華経を最も信じ難く解し難しとなす。*法が難信であるということは法の尊高をあらわすという意。</ref> {{SH3|mk3|我れ説く所の経典、無量千万億に、「已」に説き「今」説き「当」に説かん、この中に於いて、此の法華経を最も信じ難く解し難しとなす。}}といわれたものを『法華文句』八上に釈して、已説とは大品(般若経)已上の漸頓の諸説、今説とは『無量義経』当説とは『涅槃経』をさすが、それらは尚信じ易い、今『法華経』は人法悉く昔と反するから難信難解であるといわれている<ref>『法華文句』八上(大正蔵三四・一一〇頁)</ref>。 このように比較すべき三説があって、はじめて法華第一が顕われるように、今も所廃の行たる定散を説くことによって、それを廃して立てた念仏の法門の特秀性が顕われるというのである。すなわち定散は廃すべく説き、念仏は立する為に説かれたものであるといわれるのである。
  
 答の第二段は、廃すべき定散を詳説された理由をのべられるのであるが、ここに『法華経』「法師品」十を例証として出される。すなわち経に「我所説経典、無量千万億、已説今説当説而於<k>二</k>其中<k>一</k> 此法華経最為<k>二</k><k>レ</k>信難<k>レ</k>解」<ref>『法華経』法師品十(大正蔵九・三一頁)◇ 我れ説く所の経典、無量千万億に、已に説き今説き当に説かん、この中に於いて、此の法華経を最も信じ難く解し難しとなす。*法が難信であるということは法の尊高をあらわすという意。</ref>といわれたものを『法華文句』八上に釈して、已説とは大品(般若経)已上の漸頓の諸説、今説とは『無量義経』当説とは『涅槃経』をさすが、それらは尚信じ易い、今『法華経』は人法悉く昔と反するから難信難解であるといわれている。<ref>『法華文句』八上(大正蔵三四・一一〇頁)</ref> このように比較すべき三説があって、はじめて法華第一が顕われるように、今も所廃の行たる定散を説くことによって、それを廃して立てた念仏の法門の特秀性が顕われるというのである。すなわち定散は廃すべく説き、念仏は立する為に説かれたものであるといわれるのである。
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 つづいて定善観法を付属されなかったことに寄せて「然世人若楽<k>二</k>観仏等<k>一</k>、不<k>レ</k>修<k>二</k>念仏<k>一</k>、是遠非<k>レ</k>乖<k>二</k>弥陀本願<k>一</k>、亦是近違<k>二</k>釈尊付属<k>一</k>、行者宜<k>二</k>商量<k>一</k>」<ref>『選択集』「付属章」(真聖全一・九八二頁)◇ しかるに世の人、もし観仏等を楽(ねが)ひて念仏を修せざるは、これ遠く弥陀の本願を乖くのみにもあらず、またこれ近くは釈尊の付属に違(たが)ふ。行者よろしく[[商量]]すべし。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1272|選択集 P.1272]])</ref>{{SH3|mk5|しかるに世の人、もし観仏等を楽(ねが)ひて念仏を修せざるは、これ遠く弥陀の本願を乖くのみにもあらず、またこれ近くは釈尊の付属に違(たが)ふ。行者よろしく[[商量]]すべし。}}といい、観念至上主義の聖道門的念仏観を弥陀、釈迦二尊の意に背くものとして厳しく批判される。さらに散善廃捨のところでは、持戒、発菩提心、解第一義(理観)、読誦大乗(持経、持咒)をあげ「此四箇行、当世之人殊所<k>レ</k>欲之行也、以<k>二</k>此等行<k>一</k>、殆抑<k>二</k>念仏<k>一</k>」<ref>◇この四箇の行は、当世の人ことに欲するところの行なり。これらの行をもつてほとほと念仏を抑ふ。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1273|選択集 P.1273]])</ref>{{SH3|mk6|この四箇の行は、当世の人ことに欲するところの行なり。これらの行をもつてほとほと念仏を抑ふ。}}といい、弥陀の本願、釈尊の付属の経意に従って、それらを廃して念仏に帰すべきことを勧励される。<ref>この四行のなか、ことに菩提心については、天台、真言、華厳、といった諸宗の菩提心のほか、善導の菩提心についても関説し「発菩提心、其言雖<k>レ</k>一各随<k>二</k>其宗<k>一</k>其義不<k>レ</k>同、然則菩提心之一句、広亘<k>二</k>諸経<k>一</k>、遍該<k>二</k>顕密<k>一</k>、意気博遠、詮測沖邈、願諸行者、莫<k>二</k>執<k>レ</k>一遮<k>レ</k>万、諸求<k>二</k>往生<k>一</k>之人、各須<k>レ</k>発<k>二</k>自宗之菩提心<k>一</k>、縦無<k>二</k>余行<k>一</k>、以<k>二</k>菩提心<k>一</k>、為<k>二</k>往生業<k>一</k>也」◇〔発菩提心、その言一なりといへども、おのおのその宗に随ひてその義不同なり。しかればすなはち菩提心の一句、広く諸経に亘り、あまねく顕密を該ねたり。意気博遠にして詮測沖邈なり。願はくはもろもろの行者、一を執して万を遮することなかれ。もろもろの往生を求むる人、おのおのすべからく自宗の菩提心を発すべし。たとひ余行なしといへども、菩提心をもつて往生の業となす。〕(「付属章」・真聖全一・九七七頁)といってその重要性を認めながら、最終的には廃捨すべき行法とみなされたわけである。これについて高弁が『摧邪輪』において痛烈な論難を加えたことは周知の如くである。</ref>そして最後に、
  
 つづいて定善観法を付属されなかったことに寄せて「然世人若楽<k></k>観仏等<k></k>、不<k>レ</k><k></k>念仏<k></k>、是遠非<k>レ</k><k>二</k>弥陀本願<k>一</k>、亦是近違<k>二</k>釈尊付属<k>一</k>、行者宜<k></k>商量<k></k><ref>『選択集』「付属章」(真聖全一・九八二頁)◇ しかるに世の人、もし観仏等を楽(ねが)ひて念仏を修せざるは、これ遠く弥陀の本願を乖くのみにもあらず、またこれ近くは釈尊の付属に違(たが)ふ。行者よろしく[[商量]]すべし。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1272|選択集 P.1272]])</ref>といい、観念至上主義の聖道門的念仏観を弥陀、釈迦二尊の意に背くものとして厳しく批判される。さらに散善廃捨のところでは、持戒、発菩提心、解第一義(理観)、読誦大乗(持経、持咒)をあげ「此四箇行、当世之人殊所<k>レ</k>欲之行也、以<k>二</k>此等行<k>一</k>、殆抑<k>二</k>念仏<k>一</k>」<ref>◇この四箇の行は、当世の人ことに欲するところの行なり。これらの行をもつてほとほと念仏を抑ふ。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1273|選択集 P.1273]])</ref>といい、弥陀の本願、釈尊の付属の経意に従って、それらを廃して念仏に帰すべきことを勧励される。<ref>この四行のなか、ことに菩提心については、天台、真言、華厳、といった諸宗の菩提心のほか、善導の菩提心についても関説し「発菩提心、其言雖<k>レ</k>一各随<k>二</k>其宗<k>一</k>其義不<k>レ</k>同、然則菩提心之一句、広亘<k>二</k>諸経<k>一</k>、遍該<k>二</k>顕密<k>一</k>、意気博遠、詮測沖邈、願諸行者、莫<k>二</k>執<k>レ</k>一遮<k>レ</k>万、諸求<k>二</k>往生<k>レ\一</k>之人、各須<k>レ</k>発<k>二</k>自宗之菩提心<k>一</k>、縦無<k>二</k>余行<k>一</k>、以<k>二</k>菩提心<k>一</k>、為<k>二</k>往生業<k>一</k>也」◇〔発菩提心、その言一なりといへども、おのおのその宗に随ひてその義不同なり。しかればすなはち菩提心の一句、広く諸経に亘り、あまねく顕密を該ねたり。意気博遠にして詮測沖邈なり。願はくはもろもろの行者、一を執して万を遮することなかれ。もろもろの往生を求むる人、おのおのすべからく自宗の菩提心を発すべし。たとひ余行なしといへども、菩提心をもつて往生の業となす。〕(「付属章」・真聖全一・九七七頁)といってその重要性を認めながら、最終的には廃捨すべき行法とみなされたわけである。これについて高弁が『摧邪輪』において痛烈な論難を加えたことは周知の如くである。</ref>そして最後に、
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: 故知、諸行非<k></k>機失<k></k>時、念仏往生当<k>レ</k>機得<k></k>時感応豈唐捐哉。当<k></k>知、随他之前、暫雖<k>レ</k><k>二</k>定散門<k>一</k>、随自之後、還閉<k>二</k>定散門<k>一</k>。一開以後永不<k></k>閉者、唯是念仏一門。弥陀本願、釈尊付属、意在<k></k>此矣。行者応<k>レ</k>知。<ref>『選択集』「付属章」(真聖全一・九八二頁)◇ ゆゑに知りぬ、諸行は機にあらず時を失す。念仏往生は機に当り、時を得たり。感応あに唐捐せんや。まさに知るべし、随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。 一たび開きて以後永く閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意これにあり。行者知るべし。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1273|選択集 P.1273]])</ref> {{SHD|mk7|ゆゑに知りぬ、諸行は機にあらず時を失す。念仏往生は機に当り、時を得たり。感応あに唐捐せんや。まさに知るべし、随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。 一たび開きて以後永く閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意これにあり。行者知るべし。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1273|選択集 P.1273]])}}
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といい、すでに時機を失っている随他意方便の定散諸行門と、時機にかなった一開永不閉の随自意真実の念仏門とを明確に分判し、弥陀の本願、釈尊の付属に順じて、廃立すべきことを[[勧誡]]されている。『選択集』はこの信念をもって廃立義を貫く書だったのである。
  
: 故知、諸行非<k></k>機失<k></k>時、念仏往生当<k>レ</k>機得<k>レ</k>時感応豈唐捐哉。当<k>レ</k>知、随他之前、暫雖<k>レ</k>開<k>二</k>定散門<k>一</k>、随自之後、還閉<k>二</k>定散門<k>一</k>。一開以後永不<k>レ</k>閉者、唯是念仏一門。弥陀本願、釈尊付属、意在<k>レ</k>此矣。行者応<k>レ</k>知。<ref>『選択集』「付属章」(真聖全一・九八二頁)◇ ゆゑに知りぬ、諸行は機にあらず時を失す。念仏往生は機に当り、時を得たり。感応あに唐捐せんや。まさに知るべし、随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。 一たび開きて以後永く閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意これにあり。行者知るべし。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1273|選択集 P.1273]])</ref>
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 ところで法然が用いられる[[廃立]]という用語は、もと天台宗で使用されていたものであった。『法華玄義』七下に、経題の蓮華を釈して、為蓮故華、華開蓮現、華落蓮成の三喩<ref>◇為蓮故華(蓮のための故の華)、華開蓮現(華開いて蓮現わる)、「華落蓮成(華落ちて蓮成る)。「蓮」は果実の意であり、「華」は花を意味し「妙法蓮華経」の蓮華の語によせた智顗の施開廃の三義の釈。</ref>をあげ、それを[[jds:本門・迹門|本迹二門]]にわたって広釈されている<ref>『法華玄義』七下(大正蔵三三、七七三頁)</ref>。 その中迹門における経法の権実に合法すれば三喩は次いでの如く為実施権、開権顕実、廃権立実の三義を表わすといわれている。為実施権とは、爾前の三乗各別の教法は、真実なる法華一仏乗を開顕する為の調機誘引の方便権法として分一説三(一乗を分けて三乗として説いた)されたものであるということである。開権顕実とは、機根が熟すれば、三乗各別の機の執情を開拓し、その蒙を啓くとき、権教即実教、三乗即一乗と権実不二の一乗実教が顕われることをいう。そして廃権立実とは、所対の機縁が純熟して、権即実と開会がなされるならば、唯一乗真実の化益のみが施されるから、未熟の機に対して用いた化導の権用は必要がなくなり、廃されていく。このように権用が廃されて、実用のみが独立することを廃権立実というのである。従ってこの場合廃立とは、経の用、すなわち釈尊の化用に約していうことで、教法の体についていったものではない。教の体をいえば、三乗といえども本来一乗真実であるから、廃すべきものではない。廃すべきものがなければ、立すべきものもないのだから、廃立は成立しない。教体についていえば開権顕実、すなわち開会でなければならないのである。これが天台教学における施、開、廃の体系であった<ref>日下大癡『台学指針』(六四頁)參照。◇施、開、廃。「為」とは為実施権とは実のために権を施すこと。「開」は開権顕実とは権の教えを開いて真実の教えを顕わすこと。「廃」とは廃権立実で権を廃して実を立てること。</ref>
  
といい、すでに時機を失っている随他意方便の定散諸行門と、時機にかなった一開永不閉の随自意真実の念仏門とを明確に分判し、弥陀の本願、釈尊の付属に順じて、廃立すべきことを勧誡されている。『選択集』はこの信念をもって廃立義を貫く書だったのである。
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 ところが法然は「随他之前、暫雖<k>レ</k>開<k>二</k>定散門<k>一</k>」{{SH3|mk8|随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども}}といって、為実施権的な表現を用いられているが、定散門と念仏門との間に分一説三的な関係があるとは説かれていないから、天台的な意味での為実施権ではなかったとみるべきである。未熟の機に応じて、その機を調機誘引するために暫く開説したものが定散門であるとされるのだから、たしかに暫用還廃の方便法門とみなされていたにちがいないが、分一説三的に、念仏を分って定散としたというものではなかった。従って定散の当体即念仏と開会するような開権顕実の思想は全くなかったのである。それゆえ廃立も、たゞ仏の化用に約するというものではなくて、{{DotUL|定散諸行の法門と念仏往生の法門という教体・行体そのものについて廃立を談ぜられる。}}このようにみていくと廃立という用語は天台宗のそれを依用されたにちがいないが、思想内容はちがっており、法然が天台とはちがった独自の思考形態をもっておられたことがわかるのである。法然の廃立思想は、天台の名目を善導の付属釈の意によって転用し、独自に展開されたものであった。この廃立とは後述するように選択と同意であって、これが法然の宗教を特徴づける名目だったのである。後に親鸞は、法然を伝承して二回向四法という誓願一仏乗の雄大な教義体系を樹立されるが、開会思想は決して用いなかったのは、法然を正確に継承されたからであるといえよう。<br />
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それに対して、すでにのべたように[[善恵房|証空]]は、巧みに天台の開会思想を導入して、行門、観門、弘願といった独自の教学を樹立していかれたわけであるが、定散即念仏と開会を語るかぎり、定散と念仏の廃立をいってもその廃立思想は、法然のそれと変るところがあったといえよう。<ref>行観の『選択集秘鈔』二(浄全八・三五九頁)に「傍正要門西山料簡也、爰以山法師事略頌、師法然房切<k>二</k>諸行頚<k>一</k>、弟子善慧房生<k>二</k>取諸行<k>一</k>申也。廃立者捨<k>二</k>定散諸善<k>一</k>位法門也、要門者衆機説返弥陀光明、摂<k>二</k>定散万機<k>一</k>法門故山僧達如<k>レ</k>此申也」◇〔傍正要門は西山の料簡なり。ここを以て山法師事の略頌にも、師の法然房は諸行の頚を切る、弟子の善慧房は諸行を生け取りにすると。廃立とは定散諸善を捨てる位の法門なり、要門とは衆機に説き返して弥陀の光明は、定散万機を摂すといふ法門なる故に、山僧達もかくの如く申すなり。〕といっている。法然が所廃とされた定散諸善を、証空は定散諸善は本来念仏体内の善であるから、定散を自力行とみる自力の執心さえ廃捨すれば、定散即念仏と開会され、他力念仏一行になるといわれたことを、「法然は諸行の頚を切り、善慧房証空は諸行を生け取りにした」といわれたのである。</ref>
  
 ところで法然が用いられる廃立という用語は、もと天台宗で使用されていたものであった。『法華玄義』七下に、経題の蓮華を釈して、為蓮故華、華開蓮現、華落蓮成の三喩<ref>◇為蓮故華(蓮のための故の華)、華開蓮現(華開いて蓮現わる)、「華落蓮成(華落ちて蓮成る)。「蓮」は果実の意であり、「華」は花を意味し「妙法蓮華経」の蓮華の語によせた智顗の施開廃の三義の釈。</ref>をあげ、それを本迹二門にわたって広釈されている。<ref>『法華玄義』七下(大正蔵三三、七七三頁)</ref> その中迹門における経法の権実に合法すれば三喩は次いでの如く為実施権、開権顕実、廃権立実の三義を表わすといわれている。為実施権とは、爾前の三乗各別の教法は、真実なる法華一仏乗を開顕する為の調機誘引の方便権法として分一説三(一乗を分けて三乗として説いた)されたものであるということである。開権顕実とは、機根が熟すれば、三乗各別の機の執情を開拓し、その蒙を啓くとき、権教即実教、三乗即一乗と権実不二の一乗実教が顕われることをいう。そして廃権立実とは、所対の機縁が純熟して、権即実と開会がなされるならば、唯一乗真実の化益のみが施されるから、未熟の機に対して用いた化導の権用は必要がなくなり、廃されていく。このように権用が廃されて、実用のみが独立することを廃権立実というのである。従ってこの場合廃立とは、経の用、すなわち釈尊の化用に約していうことで、教法の体についていったものではない。教の体をいえば、三乗といえども本来一乗真実であるから、廃すべきものではない。廃すべきものがなければ、立すべきものもないのだから、廃立は成立しない。教体についていえば開権顕実、すなわち開会でなければならないのである。これが天台教学における施、開、廃の体系であった。<ref>日下大癡『台学指針』(六四頁)參照。</ref>
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 ともあれ法然は、こうした独自の廃立義をもって当時の仏教界で支配的であった顕密の行業を批判していかれたのであった。特に仏道修行の原点とみなされていた菩提心を非本願の故に所廃の行と判定されたことや、また天台本覚法門における、「我即真如」の理観をはじめとする観念の行業や、<ref>法然が本覚法門の秘伝書の一つだった『真如観』を批判して「これは恵心のと申て候へども、わろき物にて候也、……無益に候」(『和語灯』五・真聖全四・六四六頁)といい切っておられる。法然と本覚思想については、第二篇第六章参照。</ref> 『般若』、『法華』等の経典読誦、「随求」、「尊勝」等の陀羅尼や光明真言、阿弥陀真言などを受持する神咒信仰を不付属の麁行として廃捨せしめ、<ref>真言の「阿弥陀供養法」などについて醍醐本『法然上人伝記』(法然伝全・七七八頁)に、「阿弥陀供養法」は正行かという問いに対して「答不<k>レ</k>可<k>レ</k>然也、雖<k>レ</k>似<k>レ</k>一随<k>レ</k>教其意不<k>レ</k>同也、真言教云阿弥陀是己心如来、不<k>レ</k>可<k>レ</k>尋<k>レ</k>外、此教弥陀、法蔵比丘之成仏也。居<k>二</k>西方<k>一</k>其意大異、彼成仏教也、此往生教也、更以不<k>レ</k>可<k>レ</k>同云云」◇〔答。しかるべからず。一に似たりといえども教に随えばその意不同なり。真言教にいう阿弥陀は、これ己心の如来なり、外を尋ぬべからず。この教の弥陀は法蔵比丘の成仏なり。西方に居す、その意おおいに異なる。彼は成仏の教なり、これは往生の教なり、さらに以って同ずべからずと、云々 ([[醍醐本法然上人伝記#no19]])〕と批判して、正行ではないと確定されている。同意のことが「浄土随聞記」(『拾遺語灯』上・真聖全四・六九九頁)や、「一百四十五箇条問答」(『和語灯』五・真聖全四・六七〇頁)にも見られる。</ref> また仏道修行の基礎となる戒律も非本願の故に必須としないといわれたことは、戒律復興運動を提唱していた貞慶や高弁たちからはげしい非難の的となっていく。貞慶の『興福寺奏状』に「右件源空、偏<k>二</k>執一門<k>一</k>、都<k>二</k>滅八宗<k>一</k>、天魔所以、仏神可<k>レ</k>痛」<ref>『興福寺奏状』(岩波日本思想大系『鎌倉旧仏教』三一六頁)◇ 右件の源空、一門に偏執し、八宗を都滅す。天魔の所以、仏神痛むべし。都滅の「都」は全てという意。「選択本願念仏」という廃立の語が当時の顕密仏教に対して脅威であることを示唆する。ある意味で西欧の16世紀における宗教改革に先立つ、日本における宗教改革であろう。([[興福寺奏状#.E5.A5.8F.E3.80.80.E7.8A.B6|興福寺奏状]])</ref>{{SH3|mk9|右件の源空、一門に偏執し、八宗を都滅す。天魔の所以、仏神痛むべし。}}といい、高弁が『摧邪輪』上に、菩提心廃捨を非難して「汝即如<k>二</k>畜生<k>一</k>、又是業障深重人也」<ref>◇ 汝は即ち畜生のごとし、また是れ業障深重の人なり。[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch/search/image.php?lineno=J08_0695A01 『摧邪輪』巻上]</ref>{{SH3|mk11|汝は即ち畜生のごとし、また是れ業障深重の人なり。}}とか「依<k>二</k>汝之邪言<k>一</k>、令<k>三</k>所化捨<k>二</k>離菩提心<k>一</k>、汝豈非<k>二</k>悪魔之使<k>一</k>乎」<ref>『摧邪輪』上(同右・三三二頁)、『同』上(三三三頁)◇汝が邪言によって、所化をして菩提心を捨離せしむ。汝はあに悪魔の使にあらざらんや。[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch/search/image.php?lineno=J08_0697A17 『摧邪輪』巻上]</ref>{{SH3|mk12|汝が邪言によって、所化をして菩提心を捨離せしむ。汝はあに悪魔の使にあらざらんや。}}と口を極めて罵倒したところに、法然の廃立義が、いかに従来の仏教思想と異質であったかを物語っているといえよう。
 
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:→[[法然聖人の他力思想]]
 ところが法然は「随他之前、暫雖<k>レ</k>開<k>二</k>定散門<k>一</k>」<ref>随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども</ref>といって、為実施権的な表現を用いられているが、定散門と念仏門との間に分一説三的な関係があるとは説かれていないから、天台的な意味での為実施権ではなかったとみるべきである。未熟の機に応じて、その機を調機誘引するために暫く開説したものが定散門であるとされるのだから、たしかに暫用還廃の方便法門とみなされていたにちがいないが、分一説三的に、念仏を分って定散としたというものではなかった。従って定散の当体即念仏と開会するような開権顕実の思想は全くなかったのである。それゆえ廃立も、たゞ仏の化用に約するというものではなくて、{{DotUL|定散諸行の法門と念仏往生の法門という教体・行体そのものについて廃立を談ぜられる。}}このようにみていくと廃立という用語は天台宗のそれを依用されたにちがいないが、思想内容はちがっており、法然が天台とはちがった独自の思考形態をもっておられたことがわかるのである。法然の廃立思想は、天台の名目を善導の付属釈の意によって転用し、独自に展開されたものであった。この廃立とは後述するように選択と同意であって、これが法然の宗教を特徴づける名目だったのである。後に親鸞は、法然を伝承して二回向四法という誓願一仏乗の雄大な教義体系を樹立されるが、開会思想は決して用いなかったのは、法然を正確に継承されたからであるといえよう。それに対して、すでにのべたように証空は、巧みに天台の開会思想を導入して、行門、観門、弘願といった独自の教学を樹立していかれたわけであるが、定散即念仏と開会を語るかぎり、定散と念仏の廃立をいってもその廃立思想は、法然のそれと変るところがあったといえよう。<ref>行観の『選択集秘鈔』二(浄全八・三五九頁)に「傍正要門西山料簡也、爰以山法師事略頌、師法然房切<k>二</k>諸行頚<k>一</k>、弟子善慧房生<k>二</k>取諸行<k>一</k>申也。廃立者捨<k>二</k>定散諸善<k>一</k>位法門也、要門者衆機説返弥陀光明、摂<k>二</k>定散万機<k>一</k>法門故山僧達如<k>レ</k>此申也」◇〔傍・正・要の門は西山の料簡なり。ここを以て山法師事の略頌にも、師の法然房は諸行の頚を切る、弟子の善慧房は諸行を生け取りにすると。廃立とは定散諸善を捨てる位の法門なり、要門とは衆機に説き返して弥陀の光明は、定散万機を摂すといふ法門なる故に、山僧達もかくの如く申すなり。〕といっている。法然が所廃とされた定散諸善を、証空は定散諸善は本来念仏体内の善であるから、定散を自力行とみる自力の執心さえ廃捨すれば、定散即念仏と開会され、他力念仏一行になるといわれたことを、「法然は諸行の頚を切り、善慧房証空は諸行を生け取りにした」といわれたのである。</ref>
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 ともあれ法然は、こうした独自の廃立義をもって当時の仏教界で支配的であった顕密の行業を批判していかれたのであった。特に仏道修行の原点とみなされていた菩提心を非本願の故に所廃の行と判定されたことや、また天台本覚法門における、「我即真如」の理観をはじめとする観念の行業や、<ref>法然が本覚法門の秘伝書の一つだった『真如観』を批判して「これは恵心のと申て候へども、わろき物にて候也、……無益に候」(『和語灯』五・真聖全四・六四六頁)といい切っておられる。法然と本覚思想については、第二篇第六章参照。</ref> 『般若』、『法華』等の経典読誦、「随求」、「尊勝」等の陀羅尼や光明真言、阿弥陀真言などを受持する神咒信仰を不付属の麁行として廃捨せしめ、<ref>真言の「阿弥陀供養法」などについて醍醐本『法然上人伝記』(法然伝全・七七八頁)に、「阿弥陀供養法」は正行かという問いに対して「答不<k>レ</k>可<k>レ</k>然也、雖<k>レ</k>似<k>レ</k>一随<k>レ</k>教其意不<k>レ</k>同也、真言教云阿弥陀是己心如来、不<k>レ</k>可<k>レ</k>尋<k>レ</k>外、此教弥陀、法蔵比丘之成仏也。居<k>二</k>西方<k>一</k>其意大異、彼成仏教也、此往生教也、更以不<k>レ</k>可<k>レ</k>同云云」と批判して、正行ではないと確定されている。同意のことが「浄土随聞記」(『拾遺語灯』上・真聖全四・六九九頁)や、「一百四十五箇条問答」(『和語灯』五・真聖全四・六七〇頁)にも見られる。</ref> また仏道修行の基礎となる戒律も非本願の故に必須としないといわれたことは、戒律復興運動を提唱していた貞慶や高弁たちからはげしい非難の的となっていく。貞慶の『興福寺奏状』に「右件源空、偏<k>二</k>執一門<k>一</k>、都<k>二</k>滅八宗<k>一</k>、天魔所以、仏神可<k>レ</k>痛」<ref>『興福寺奏状』(岩波日本思想大系『鎌倉旧仏教』三一六頁)◇ 右件の源空、一門に偏執し、八宗を都滅す。天魔の所為、仏神痛むべし。都滅の「都」は全てという意。「選択本願念仏」という廃立の語が当時の顕密仏教に対して脅威であることを示唆する。ある意味で西欧の16世紀における宗教改革に先立つ、日本における宗教改革であろう。([[興福寺奏状#.E5.A5.8F.E3.80.80.E7.8A.B6|興福寺奏状]])</ref>といい、高弁が『摧邪輪』上に、菩提心廃捨を非難して「汝即如<k>二</k>畜生<k>一</k>、又是業障深重人也」<ref>汝は即ち畜生のごとし、また是れ業障深重の人なり。[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch/search/image.php?lineno=J08_0695A01 『摧邪輪』巻上]</ref>とか「依<k>二</k>汝之邪言<k>一</k>、令<k>三</k>所化捨<k>二</k>離菩提心<k>一</k>、汝豈非<k>二</k>悪魔之使<k>一</k>乎」<ref>『摧邪輪』上(同右・三三二頁)、『同』上(三三三頁)◇汝が邪言によって、所化をして菩提心を捨離せしむ。汝はあに悪魔の使にあらざらんや。[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch/search/image.php?lineno=J08_0697A17 『摧邪輪』巻上]</ref>と口を極めて罵倒したところに、法然の廃立義が、いかに従来の仏教思想と異質であったかを物語っているといえよう。
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2019年12月30日 (月) 14:32時点における最新版

梯實圓著『法然教学の研究』より「廃立と開会」p.129を抜粋。浄土宗西山派では「全分他力説」を説き、非常に浄土真宗と近い教義なのだが開廃会の論理を使用するところが、御開山と異なるので「廃立と開会」の概念理解の為にUPした。脚注の読み下しは便宜の為に林遊が付した。脚注の◇以下は林遊が追記した。

第四節 廃立と開会

 さて「付属章」では、仏の本願行なるが故に念仏のみを付属すというのならば、本願念仏のみを詳説すればよいのに、何故煩わしく非本願の定散諸善を説かれたのかと問い、それに対して二意をもって答えられる。

 答曰、本願念仏行、双巻経中委既説之、故重不説耳、又説定散、為念仏超過余善、若無定散、何顕念仏特秀、例如法華秀三説上、若無三説、何顕法華第一、故今定散為廃而説、念仏三昧為立而説。[1]「隠/顕」
答へていはく、本願念仏の行は、『双巻経』(大経)のなかに委しくすでにこれを説く。ゆゑにかさねて説かざるのみ。また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。例するに『法華』の三説の上に秀でたるがごとし。もし三説なくは、なんぞ『法華』第一を顕さん。ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。 (選択集 P.1271)

 初は念仏が『観経』で詳説されなかったことについて、それは『大経』で委細に説かれたからであるというのである。尚、廬山寺本では、「念仏三昧為立而説」「隠/顕」念仏三昧は立せんがために説く。につづいて『大・観二経』の説時の前後が論じられ、寿前観後と判定されている。もっとも原本はカッコでかこまれているから、省略する意図があったと思うが、この寿前観後説が前提されていないと、初めの答が成立しないから論述されたのであろう。しかし「往生院本」も「延応版」も、いずれも省略されている[2]

 答の第二段は、廃すべき定散を詳説された理由をのべられるのであるが、ここに『法華経』「法師品」十を例証として出される。すなわち経に「我所説経典、無量千万億、已説今説当説而於其中 此法華経最為信難解」[3] 「隠/顕」我れ説く所の経典、無量千万億に、「已」に説き「今」説き「当」に説かん、この中に於いて、此の法華経を最も信じ難く解し難しとなす。といわれたものを『法華文句』八上に釈して、已説とは大品(般若経)已上の漸頓の諸説、今説とは『無量義経』当説とは『涅槃経』をさすが、それらは尚信じ易い、今『法華経』は人法悉く昔と反するから難信難解であるといわれている[4]。 このように比較すべき三説があって、はじめて法華第一が顕われるように、今も所廃の行たる定散を説くことによって、それを廃して立てた念仏の法門の特秀性が顕われるというのである。すなわち定散は廃すべく説き、念仏は立する為に説かれたものであるといわれるのである。

 つづいて定善観法を付属されなかったことに寄せて「然世人若楽観仏等、不念仏、是遠非弥陀本願、亦是近違釈尊付属、行者宜商量[5]「隠/顕」しかるに世の人、もし観仏等を楽(ねが)ひて念仏を修せざるは、これ遠く弥陀の本願を乖くのみにもあらず、またこれ近くは釈尊の付属に違(たが)ふ。行者よろしく商量すべし。といい、観念至上主義の聖道門的念仏観を弥陀、釈迦二尊の意に背くものとして厳しく批判される。さらに散善廃捨のところでは、持戒、発菩提心、解第一義(理観)、読誦大乗(持経、持咒)をあげ「此四箇行、当世之人殊所欲之行也、以此等行、殆抑念仏[6]「隠/顕」この四箇の行は、当世の人ことに欲するところの行なり。これらの行をもつてほとほと念仏を抑ふ。といい、弥陀の本願、釈尊の付属の経意に従って、それらを廃して念仏に帰すべきことを勧励される。[7]そして最後に、

 故知、諸行非機失時、念仏往生当機得時感応豈唐捐哉。当知、随他之前、暫雖定散門、随自之後、還閉定散門。一開以後永不閉者、唯是念仏一門。弥陀本願、釈尊付属、意在此矣。行者応知。[8] 「隠/顕」
ゆゑに知りぬ、諸行は機にあらず時を失す。念仏往生は機に当り、時を得たり。感応あに唐捐せんや。まさに知るべし、随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。 一たび開きて以後永く閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意これにあり。行者知るべし。(選択集 P.1273)

といい、すでに時機を失っている随他意方便の定散諸行門と、時機にかなった一開永不閉の随自意真実の念仏門とを明確に分判し、弥陀の本願、釈尊の付属に順じて、廃立すべきことを勧誡されている。『選択集』はこの信念をもって廃立義を貫く書だったのである。

 ところで法然が用いられる廃立という用語は、もと天台宗で使用されていたものであった。『法華玄義』七下に、経題の蓮華を釈して、為蓮故華、華開蓮現、華落蓮成の三喩[9]をあげ、それを本迹二門にわたって広釈されている[10]。 その中迹門における経法の権実に合法すれば三喩は次いでの如く為実施権、開権顕実、廃権立実の三義を表わすといわれている。為実施権とは、爾前の三乗各別の教法は、真実なる法華一仏乗を開顕する為の調機誘引の方便権法として分一説三(一乗を分けて三乗として説いた)されたものであるということである。開権顕実とは、機根が熟すれば、三乗各別の機の執情を開拓し、その蒙を啓くとき、権教即実教、三乗即一乗と権実不二の一乗実教が顕われることをいう。そして廃権立実とは、所対の機縁が純熟して、権即実と開会がなされるならば、唯一乗真実の化益のみが施されるから、未熟の機に対して用いた化導の権用は必要がなくなり、廃されていく。このように権用が廃されて、実用のみが独立することを廃権立実というのである。従ってこの場合廃立とは、経の用、すなわち釈尊の化用に約していうことで、教法の体についていったものではない。教の体をいえば、三乗といえども本来一乗真実であるから、廃すべきものではない。廃すべきものがなければ、立すべきものもないのだから、廃立は成立しない。教体についていえば開権顕実、すなわち開会でなければならないのである。これが天台教学における施、開、廃の体系であった[11]

 ところが法然は「随他之前、暫雖定散門「隠/顕」随他の前にはしばらく定散の門を開くといへどもといって、為実施権的な表現を用いられているが、定散門と念仏門との間に分一説三的な関係があるとは説かれていないから、天台的な意味での為実施権ではなかったとみるべきである。未熟の機に応じて、その機を調機誘引するために暫く開説したものが定散門であるとされるのだから、たしかに暫用還廃の方便法門とみなされていたにちがいないが、分一説三的に、念仏を分って定散としたというものではなかった。従って定散の当体即念仏と開会するような開権顕実の思想は全くなかったのである。それゆえ廃立も、たゞ仏の化用に約するというものではなくて、定散諸行の法門と念仏往生の法門という教体・行体そのものについて廃立を談ぜられる。このようにみていくと廃立という用語は天台宗のそれを依用されたにちがいないが、思想内容はちがっており、法然が天台とはちがった独自の思考形態をもっておられたことがわかるのである。法然の廃立思想は、天台の名目を善導の付属釈の意によって転用し、独自に展開されたものであった。この廃立とは後述するように選択と同意であって、これが法然の宗教を特徴づける名目だったのである。後に親鸞は、法然を伝承して二回向四法という誓願一仏乗の雄大な教義体系を樹立されるが、開会思想は決して用いなかったのは、法然を正確に継承されたからであるといえよう。
それに対して、すでにのべたように証空は、巧みに天台の開会思想を導入して、行門、観門、弘願といった独自の教学を樹立していかれたわけであるが、定散即念仏と開会を語るかぎり、定散と念仏の廃立をいってもその廃立思想は、法然のそれと変るところがあったといえよう。[12]

 ともあれ法然は、こうした独自の廃立義をもって当時の仏教界で支配的であった顕密の行業を批判していかれたのであった。特に仏道修行の原点とみなされていた菩提心を非本願の故に所廃の行と判定されたことや、また天台本覚法門における、「我即真如」の理観をはじめとする観念の行業や、[13] 『般若』、『法華』等の経典読誦、「随求」、「尊勝」等の陀羅尼や光明真言、阿弥陀真言などを受持する神咒信仰を不付属の麁行として廃捨せしめ、[14] また仏道修行の基礎となる戒律も非本願の故に必須としないといわれたことは、戒律復興運動を提唱していた貞慶や高弁たちからはげしい非難の的となっていく。貞慶の『興福寺奏状』に「右件源空、偏執一門、都滅八宗、天魔所以、仏神可痛」[15]「隠/顕」右件の源空、一門に偏執し、八宗を都滅す。天魔の所以、仏神痛むべし。といい、高弁が『摧邪輪』上に、菩提心廃捨を非難して「汝即如畜生、又是業障深重人也」[16]「隠/顕」汝は即ち畜生のごとし、また是れ業障深重の人なり。とか「依汝之邪言、令所化捨離菩提心、汝豈非悪魔之使乎」[17]「隠/顕」汝が邪言によって、所化をして菩提心を捨離せしむ。汝はあに悪魔の使にあらざらんや。と口を極めて罵倒したところに、法然の廃立義が、いかに従来の仏教思想と異質であったかを物語っているといえよう。

法然聖人の他力思想

  1. 『選択集』「付属章」(真聖全一・九八一頁)◇以下は追記: 答へていはく、本願念仏の行は、『双巻経』(大経)のなかに委しくすでにこれを説く。ゆゑにかさねて説かざるのみ。また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。例するに『法華』の三説の上に秀でたるがごとし。もし三説なくは、なんぞ『法華』第一を顕さん。ゆゑにいま定散は廃せんがために説き、念仏三昧は立せんがために説く。 (選択集 P.1271)
  2. 廬山寺本『選択本願念仏集』(影印本)、往生院本『選択集』(影印本・一七九頁)、延応版『選択集』(影印本・二一七頁)、尚「観経釈」(古本『漢語灯』二・真聖全四・三〇九頁)の初には『大観二経』の説時前後が述べられ、寿前観後説が確定されている。
  3. 『法華経』法師品十(大正蔵九・三一頁)◇ 我れ説く所の経典、無量千万億に、已に説き今説き当に説かん、この中に於いて、此の法華経を最も信じ難く解し難しとなす。*法が難信であるということは法の尊高をあらわすという意。
  4. 『法華文句』八上(大正蔵三四・一一〇頁)
  5. 『選択集』「付属章」(真聖全一・九八二頁)◇ しかるに世の人、もし観仏等を楽(ねが)ひて念仏を修せざるは、これ遠く弥陀の本願を乖くのみにもあらず、またこれ近くは釈尊の付属に違(たが)ふ。行者よろしく商量すべし。(選択集 P.1272)
  6. ◇この四箇の行は、当世の人ことに欲するところの行なり。これらの行をもつてほとほと念仏を抑ふ。(選択集 P.1273)
  7. この四行のなか、ことに菩提心については、天台、真言、華厳、といった諸宗の菩提心のほか、善導の菩提心についても関説し「発菩提心、其言雖一各随其宗其義不同、然則菩提心之一句、広亘諸経、遍該顕密、意気博遠、詮測沖邈、願諸行者、莫一遮万、諸求往生之人、各須自宗之菩提心、縦無余行、以菩提心、為往生業也」◇〔発菩提心、その言一なりといへども、おのおのその宗に随ひてその義不同なり。しかればすなはち菩提心の一句、広く諸経に亘り、あまねく顕密を該ねたり。意気博遠にして詮測沖邈なり。願はくはもろもろの行者、一を執して万を遮することなかれ。もろもろの往生を求むる人、おのおのすべからく自宗の菩提心を発すべし。たとひ余行なしといへども、菩提心をもつて往生の業となす。〕(「付属章」・真聖全一・九七七頁)といってその重要性を認めながら、最終的には廃捨すべき行法とみなされたわけである。これについて高弁が『摧邪輪』において痛烈な論難を加えたことは周知の如くである。
  8. 『選択集』「付属章」(真聖全一・九八二頁)◇ ゆゑに知りぬ、諸行は機にあらず時を失す。念仏往生は機に当り、時を得たり。感応あに唐捐せんや。まさに知るべし、随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。 一たび開きて以後永く閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意これにあり。行者知るべし。(選択集 P.1273)
  9. ◇為蓮故華(蓮のための故の華)、華開蓮現(華開いて蓮現わる)、「華落蓮成(華落ちて蓮成る)。「蓮」は果実の意であり、「華」は花を意味し「妙法蓮華経」の蓮華の語によせた智顗の施開廃の三義の釈。
  10. 『法華玄義』七下(大正蔵三三、七七三頁)
  11. 日下大癡『台学指針』(六四頁)參照。◇施、開、廃。「為」とは為実施権とは実のために権を施すこと。「開」は開権顕実とは権の教えを開いて真実の教えを顕わすこと。「廃」とは廃権立実で権を廃して実を立てること。
  12. 行観の『選択集秘鈔』二(浄全八・三五九頁)に「傍正要門西山料簡也、爰以山法師事略頌、師法然房切諸行頚、弟子善慧房生取諸行申也。廃立者捨定散諸善位法門也、要門者衆機説返弥陀光明、摂定散万機法門故山僧達如此申也」◇〔傍正要門は西山の料簡なり。ここを以て山法師事の略頌にも、師の法然房は諸行の頚を切る、弟子の善慧房は諸行を生け取りにすると。廃立とは定散諸善を捨てる位の法門なり、要門とは衆機に説き返して弥陀の光明は、定散万機を摂すといふ法門なる故に、山僧達もかくの如く申すなり。〕といっている。法然が所廃とされた定散諸善を、証空は定散諸善は本来念仏体内の善であるから、定散を自力行とみる自力の執心さえ廃捨すれば、定散即念仏と開会され、他力念仏一行になるといわれたことを、「法然は諸行の頚を切り、善慧房証空は諸行を生け取りにした」といわれたのである。
  13. 法然が本覚法門の秘伝書の一つだった『真如観』を批判して「これは恵心のと申て候へども、わろき物にて候也、……無益に候」(『和語灯』五・真聖全四・六四六頁)といい切っておられる。法然と本覚思想については、第二篇第六章参照。
  14. 真言の「阿弥陀供養法」などについて醍醐本『法然上人伝記』(法然伝全・七七八頁)に、「阿弥陀供養法」は正行かという問いに対して「答不然也、雖一随教其意不同也、真言教云阿弥陀是己心如来、不外、此教弥陀、法蔵比丘之成仏也。居西方其意大異、彼成仏教也、此往生教也、更以不同云云」◇〔答。しかるべからず。一に似たりといえども教に随えばその意不同なり。真言教にいう阿弥陀は、これ己心の如来なり、外を尋ぬべからず。この教の弥陀は法蔵比丘の成仏なり。西方に居す、その意おおいに異なる。彼は成仏の教なり、これは往生の教なり、さらに以って同ずべからずと、云々 (醍醐本法然上人伝記#no19)〕と批判して、正行ではないと確定されている。同意のことが「浄土随聞記」(『拾遺語灯』上・真聖全四・六九九頁)や、「一百四十五箇条問答」(『和語灯』五・真聖全四・六七〇頁)にも見られる。
  15. 『興福寺奏状』(岩波日本思想大系『鎌倉旧仏教』三一六頁)◇ 右件の源空、一門に偏執し、八宗を都滅す。天魔の所以、仏神痛むべし。都滅の「都」は全てという意。「選択本願念仏」という廃立の語が当時の顕密仏教に対して脅威であることを示唆する。ある意味で西欧の16世紀における宗教改革に先立つ、日本における宗教改革であろう。(興福寺奏状)
  16. ◇ 汝は即ち畜生のごとし、また是れ業障深重の人なり。『摧邪輪』巻上
  17. 『摧邪輪』上(同右・三三二頁)、『同』上(三三三頁)◇汝が邪言によって、所化をして菩提心を捨離せしむ。汝はあに悪魔の使にあらざらんや。『摧邪輪』巻上