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「三障」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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煩悩障(所知障)
 
 
煩悩障は惑障ともいわれ、さとりに至る道、即ち聖道を妨げて、涅槃を得させない煩悩のこと。
 
:① 倶舎論巻一七、巻二五では、しばしば起こって(<kana>数行(さくぎょう)</kana>のもので)無漏の慧の生ずるのを妨げ慧解脱を得させない煩悩を煩悩障といい、煩悩障を離れて慧解脱を得ても滅尽定を得るのを妨げて倶解脱を得させない障礙を解脱障(定障)という。前者は染汚無知を、後者は不染汚無知を体とすると見られる。
 
:大毘婆沙論巻一四一では、煩悩障は染汚無知、所知障は不染汚無知と見なしているようで、それぞれ四正断の前二・後二で断たれるとする。
 
:② 成唯識論巻九では、衆生の心身を乱し涅槃に至るのを妨げる全ての煩悩を煩悩障、業を起こし三界(迷いの世界)に生まれさせるはたらきはないけれども、知らなければならない対象を覆って正智が生ずるのを妨げるすべての煩悩を所知障(知障)とする。この二障はいずれも薩迦邪見をはじめ一二八の根本煩悩および二〇の随煩悩を体とする。
 
:そのうちで「実の人、実の衆生がある」として我(が)に執着する(我執)面を煩悩障とし、「ものには実体がある」として法に執着する(法執の)面を所知障としたもので、同一の煩悩の二面である。
 
:それゆえに煩悩障は我執を根本とし、所知障は法執を根本とするといわれる。そのはたらきの特徴からいえば煩悩障は涅槃を、所知障は菩提を抑える。即ち煩悩障は涅槃を抑える正障であり、所知障はこの正障に力を与えて抑えさせる兼障であるから、所知障だけでは涅槃を抑える能力がない。また煩悩障を助縁として分段生死を受け、所知障を助縁として変易生死を受けるとされる。それ故に二乗は煩悩障のみを断った位を理想の果位とするが、菩薩は二障をともに断って仏果を得るのを理想とする。それは、菩薩にとって所知障は三界の果報を引くことはないが、よく無漏業をたすけて変易生死を受けさせるからである。菩薩が二障を伏・断する段階を示したのが右図である。{図略}
 
:③ 大乗義章巻五には五住地の惑について、前の四住地の惑を煩悩障、最後の無明住地の惑を知障とする、などの三説を挙げている。
 
:④ 世親の金剛般般若波羅蜜経論巻上には、見思の惑を煩悩障とし、これを断って得た無諍三昧に執着するのを三昧障とする。(仏教学辞典)
 
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2017年12月4日 (月) 17:16時点における最新版

さんしょう

 さとりへの道をさまたげ善心を害する三種。

煩悩障(ぼんのうしょう)貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)愚痴(ぐち)等の(わく)
業障(ごっしょう)五逆十悪 等の身・口・意の三業(さんごう)に悪業のみをなす障り。
報障(ほうしょう)。悪業の果報として受ける地獄餓鬼畜生 等の苦しみの報い。

 あわせて惑・業・苦という。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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