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「無問自説経」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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『阿弥陀経』では、[[舎利弗]]に釈尊が3回も問ふのだが、舎利弗は答えることが出来なかったことから[[無問自説経]]といふ。
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:「この『経』(小経)は大乗[[修多羅]]のなかの[[無問自説経]]なり」([[P:398|註 398]])
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とあり『一多文意』には、
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:「一日乃至七日〈乃至〉この経は[[無問自説経]]とまふすこの経を説きたまひしに如来にとひたてまつる人もなしこれすなわち釈尊[[出世の本懐]]をあらわさんとおほしめすゆへに無問自説とまふすなり」([[一多#no13|註 686]])
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:→[[随自意説]]
 
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2023年12月18日 (月) 23:22時点における最新版

むもんじせつきょう

 問うものがいないのに、仏がみずからすすんで説かれた教典。仏の本意の教説が示される。(化巻 P.398, 一多 P.686)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『阿弥陀経』では、舎利弗に釈尊が3回も問ふのだが、舎利弗は答えることが出来なかったことから無問自説経といふ。 「化巻」には、

「この『経』(小経)は大乗修多羅のなかの無問自説経なり」(註 398)

とあり『一多文意』には、

「一日乃至七日〈乃至〉この経は無問自説経とまふすこの経を説きたまひしに如来にとひたてまつる人もなしこれすなわち釈尊出世の本懐をあらわさんとおほしめすゆへに無問自説とまふすなり」(註 686)

とある。

随自意説