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「名義相応」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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::かの如来の名を称するに、かの如来の[[光明智相]]のごとく、かの[[名義]]のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑに。
 
::かの如来の名を称するに、かの如来の[[光明智相]]のごとく、かの[[名義]]のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑに。
  
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*名義相応は法につき、如実修行は機につく。
 
:→[[光明智相]]
 
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:→[[如彼名義…]]
 
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2020年1月11日 (土) 15:35時点における最新版

みょうぎ-そうおう

名義相応

 阿弥陀仏の名号のいわれに相応すること。『浄土論』には

「かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑに」(浄土論 P.33)

とあり、『論註』(信巻 P.214) には名義相応することによって衆生の無明が破れ、 一切の志願が満たされるという。 →称名破満。(浄土真宗辞典)

称彼如来名、如彼如来光明智相、如彼名義、欲如実修行相応故。
かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑに。
  • 名義相応は法につき、如実修行は機につく。
光明智相
如彼名義…
名義
如実修行相応