「四向四果」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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'''[[預流]]'''とは聖者の流れに入ることで、最大7回[[欲界]]の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。<br> | '''[[預流]]'''とは聖者の流れに入ることで、最大7回[[欲界]]の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。<br> | ||
'''[[一来]]'''とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位。<br> | '''[[一来]]'''とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位。<br> | ||
− | '''[[不還]]''' | + | '''[[不還]]'''は[[欲界]]には再び還らず[[色界]]に上って悟りに至る位。<br> |
'''[[阿羅漢]]'''は今生の終りに悟り[[涅槃]]に至り再び[[三界]]には生れない位をいう。 | '''[[阿羅漢]]'''は今生の終りに悟り[[涅槃]]に至り再び[[三界]]には生れない位をいう。 | ||
2022年6月24日 (金) 00:53時点における最新版
しこうしか
部派仏教や大衆部仏教における修行の階位で、
「向」とは修行の目標、「果」は到達した境地を示す。向と果の名称が同じ、八種の段階にある人ということで、
預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。
一来とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位。
不還は欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。
阿羅漢は今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない位をいう。
→八輩