「首楞厳経」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | 1.『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経(だいぶつちょうにょらいみついんしゅしょうりょうぎしょぼさつまんぎょうしゅりょうごんきょう)』のこと。十巻。唐の般刺密帝(はらみてい)訳。疑経ともいわれる。首楞厳は梵語シューランガマ(śūraſgama)の音写で、一切事究竟堅固(いっさいじくきょうけんご)と漢訳し、[[三昧|三昧(さんまい)]]の名。『教行信証』には修行と摩障(ましょう)の関係を説くのに引用され、また第五巻に二十五聖(しょう)の円通(えんずう)が説かれてあり、その中の第二十四に[[大勢至菩薩]]の[[念仏円通]]を説き明かす。 ([[浄土和讃#P--576|浄土 P.576]], [[尊号真像銘文#P--647|尊号 P.647]]) | + | 1.『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経(だいぶつちょうにょらいみついんしゅしょうりょうぎしょぼさつまんぎょうしゅりょうごんきょう)』のこと。十巻。唐の般刺密帝(はらみてい)訳。疑経ともいわれる。首楞厳は梵語シューランガマ(śūraſgama)の音写で、一切事究竟堅固(いっさいじくきょうけんご)と漢訳し、[[三昧|三昧(さんまい)]]の名。『教行信証』には修行と摩障(ましょう)の関係を説くのに引用され、また第五巻に二十五聖(しょう)の円通(えんずう)が説かれてあり、その中の第二十四に[[大勢至菩薩]]の[[念仏円通]]を説き明かす。 ([[浄土和讃#P--576|浄土 P.576]], [[尊号真像銘文#P--647|尊号 P.647]], [[化巻末#P--453|化巻 P.453]]) |
− | 2.『首楞厳三昧経(しゅりょうごんざんまいきょう)』のこと。二巻。後秦の[[鳩摩羅什|鳩摩羅什(くまらじゅう)]]訳。仏が、堅意(けんい)菩薩が菩提をすみやかに得る法を問うたのに対してこの[[三昧|三昧(さんまい)]]を説き、また[[舎利弗|舎利弗(しゃりほつ)]] | + | 2.『首楞厳三昧経(しゅりょうごんざんまいきょう)』のこと。二巻。後秦の[[鳩摩羅什|鳩摩羅什(くまらじゅう)]]訳。仏が、堅意(けんい)菩薩が菩提をすみやかに得る法を問うたのに対してこの[[三昧|三昧(さんまい)]]を説き、また[[舎利弗|舎利弗(しゃりほつ)]]が魔境を遠離(おんり)する道を問うたのに対して、魔境を現してこれを退治して証明せられたことを説いた経典である。 |
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2017年9月17日 (日) 16:53時点における版
しゅりょうごんきょう
1.『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経(だいぶつちょうにょらいみついんしゅしょうりょうぎしょぼさつまんぎょうしゅりょうごんきょう)』のこと。十巻。唐の般刺密帝(はらみてい)訳。疑経ともいわれる。首楞厳は梵語シューランガマ(śūraſgama)の音写で、一切事究竟堅固(いっさいじくきょうけんご)と漢訳し、三昧(さんまい)の名。『教行信証』には修行と摩障(ましょう)の関係を説くのに引用され、また第五巻に二十五聖(しょう)の円通(えんずう)が説かれてあり、その中の第二十四に大勢至菩薩の念仏円通を説き明かす。 (浄土 P.576, 尊号 P.647, 化巻 P.453)
2.『首楞厳三昧経(しゅりょうごんざんまいきょう)』のこと。二巻。後秦の鳩摩羅什(くまらじゅう)訳。仏が、堅意(けんい)菩薩が菩提をすみやかに得る法を問うたのに対してこの三昧(さんまい)を説き、また舎利弗(しゃりほつ)が魔境を遠離(おんり)する道を問うたのに対して、魔境を現してこれを退治して証明せられたことを説いた経典である。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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