「度衆生心」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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この言葉の出拠となった天台大師智顗の撰といわれる『淨土十疑論』の第「一疑」では、 | この言葉の出拠となった天台大師智顗の撰といわれる『淨土十疑論』の第「一疑」では、 | ||
:問いて曰く。諸仏菩薩は大悲をもって業となし、もし衆生を救度せんと欲せば、ただ三界に願生して、五濁三塗の中において 苦の衆生を救うべし。何によりて浄土に生ずるを求むや。 自らその身を安んじ衆生を捨離す、則ちこれ大慈悲無くして専ら自利の為にして菩提の道を障(さ)ふ。 ([[hwiki:淨土十疑論#一疑|『淨土十疑論』一疑]]) | :問いて曰く。諸仏菩薩は大悲をもって業となし、もし衆生を救度せんと欲せば、ただ三界に願生して、五濁三塗の中において 苦の衆生を救うべし。何によりて浄土に生ずるを求むや。 自らその身を安んじ衆生を捨離す、則ちこれ大慈悲無くして専ら自利の為にして菩提の道を障(さ)ふ。 ([[hwiki:淨土十疑論#一疑|『淨土十疑論』一疑]]) | ||
− | + | と、浄土へ往生しようとする輩は、利他の大悲を忘れた自利の行者ではないのかとの疑いを出し、それに対して凡夫の菩薩道は衆生を済度する力を得る為に浄土へ往生するのだと答えている。参照→[[hwiki:淨土十疑論#一疑|『淨土十疑論』]]<br /> | |
御開山は本願力回向による往生即成仏をいわれるので少しく趣旨が違うのだが、先達の往生浄土に対する「還相の利益は利他の正意を顕すなり」([[証巻#P--335|証巻 P.335]]) の考察を学ぶのも面白いものであろう。<br /> | 御開山は本願力回向による往生即成仏をいわれるので少しく趣旨が違うのだが、先達の往生浄土に対する「還相の利益は利他の正意を顕すなり」([[証巻#P--335|証巻 P.335]]) の考察を学ぶのも面白いものであろう。<br /> | ||
なお、御開山は本願力回向の「願作仏心」「度衆生心」を横超の浄土の菩提心であるとされ、浄土真宗は正覚を求めるご法義であるとされておられた。 | なお、御開山は本願力回向の「願作仏心」「度衆生心」を横超の浄土の菩提心であるとされ、浄土真宗は正覚を求めるご法義であるとされておられた。 | ||
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::[[大般涅槃をさとるなり]] ([[正像末和讃#no21|正像 P.603]]) | ::[[大般涅槃をさとるなり]] ([[正像末和讃#no21|正像 P.603]]) | ||
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:→[[歎異抄#no4|慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。]] | :→[[歎異抄#no4|慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。]] |
2018年11月17日 (土) 23:11時点における版
御開山は引文されておられないのだが、源信僧都は『往生要集』上巻で四弘誓願の菩提心を述べ、
と、「利益衆生を本懐」となすが故に浄土へ往生するのであるとされている。源信僧都には、「我だにも まづ極楽に 生まれなば 知るも知らぬも 皆むかへてむ」(『新古今和歌集』)という句があり、衆生済度の為に往生をするとされた。
なお、ここでの修善は浄土真宗では、本願に選択された〔なんまんだぶ〕と称える以上の善はないのであるから念仏=修善を業因としてもよいであろう。
この言葉の出拠となった天台大師智顗の撰といわれる『淨土十疑論』の第「一疑」では、
- 問いて曰く。諸仏菩薩は大悲をもって業となし、もし衆生を救度せんと欲せば、ただ三界に願生して、五濁三塗の中において 苦の衆生を救うべし。何によりて浄土に生ずるを求むや。 自らその身を安んじ衆生を捨離す、則ちこれ大慈悲無くして専ら自利の為にして菩提の道を障(さ)ふ。 (『淨土十疑論』一疑)
と、浄土へ往生しようとする輩は、利他の大悲を忘れた自利の行者ではないのかとの疑いを出し、それに対して凡夫の菩薩道は衆生を済度する力を得る為に浄土へ往生するのだと答えている。参照→『淨土十疑論』
御開山は本願力回向による往生即成仏をいわれるので少しく趣旨が違うのだが、先達の往生浄土に対する「還相の利益は利他の正意を顕すなり」(証巻 P.335) の考察を学ぶのも面白いものであろう。
なお、御開山は本願力回向の「願作仏心」「度衆生心」を横超の浄土の菩提心であるとされ、浄土真宗は正覚を求めるご法義であるとされておられた。
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(20)
- 浄土の大菩提心は
- 願作仏心をすすめしむ
- すなはち願作仏心を
- 度衆生心となづけたり (正像 P.603)
(21)
- 度衆生心といふことは
- 弥陀智願の回向なり
- 回向の信楽うるひとは
- 大般涅槃をさとるなり (正像 P.603)
- →慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。
- →願作仏心
- →度衆生心
- →還相
- →無住処涅槃