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「心行」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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:Ⅱ 願い、志のこと。『大経』には「つねにこの尊をして、わが[[心行]]を知らしめん」([[大経上#P--13|大経 P.13]])と説かれている。
 
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:Ⅲ {{DotUL|他力回向の[[信]]と[[行]]のこと}}。「証巻」には「しかるに[[煩悩成就]]の凡夫、生死罪濁の群萌、[[往相回向の心行|往相回向の'''心行''']]を獲れば、即のときに大乗[[入正定聚…|正定聚の数に入るなり]]」([[証巻#P--307|証巻 P.307]])、『高僧和讃』には「
 
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:: [[心行]]いかでかさとらまし」( [[高僧和讃#no31|高僧 P.583]])
 
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*御開山は、「心行」の語をⅢの意味で、信と行の「[[行信]]」の意味で使われる場合がある。
 
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2019年12月15日 (日) 02:46時点における版

しんぎょう

Ⅰ 願い。志。(大経 P.13) 

Ⅱ 心のはたらき (化巻 P.465安楽集 P.195要集 P.1119)

Ⅲ 一心帰命の信心に五念門の行徳が具わっていること。(高僧 P.583)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

しんぎょう 心行

Ⅰ 心のはたらきのこと。『論註』には「如に達すればすなはち心行寂滅なり」(証巻引文 329) とある。
Ⅱ 願い、志のこと。『大経』には「つねにこの尊をして、わが心行を知らしめん」(大経 P.13)と説かれている。
Ⅲ 他力回向ののこと。「証巻」には「しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即のときに大乗正定聚の数に入るなり」(証巻 P.307)、『高僧和讃』には「
天親菩薩のみことをも
 鸞師ときのべたまはずは
 他力広大威徳の
 心行いかでかさとらまし」( 高僧 P.583)

とある。(浄土真宗辞典)

  • 御開山は、「心行」の語をⅢの意味で、信と行の「行信」の意味で使われる場合がある。
行信
行信不離

13,307,465,480,482,484,583,584,591,917,918,943,976