「信順」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2018年11月6日 (火) 22:18時点における版
しんじゅん
教えを信受し随順すること。「信巻」別序に、
- ここに愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家の宗義を披閲す。(信巻 P.209)
とある。
また、『愚禿鈔』には二河白道の譬喩によって、
- 「仰いで釈迦発遣して、
指 へて西方に向かへたまふことを蒙る」といふは、順なり。「また弥陀の悲心招喚したまふによる」といふは、信なり。「いま二尊の意 に信順して、水火二河を顧みず、念々に遺 るることなく、かの願力の道に乗ず」といへり。(愚禿下 P.539)
とあり、阿弥陀仏の直ちに来たれの招喚を信受することを「信」とし、釈尊の西方に向かへとの発遣に順うことを「順」とする。
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