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「諸行往生」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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法然は『選択集』に、
:もし[[道綽]]禅師の意によらば、往生の行多しといへども束(つか)ねて二となす。一にはいはく念仏往生、二にはいはく万行往生なり。もし[[懐感]]禅師の意によらば、往生の行多しといへども束ねて二となす。一にはいはく念仏往生、二にはいはく諸行往生なり。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1200|選択本願念仏集(P.1199]])
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:もし[[道綽]]禅師の意によらば、往生の行多しといへども束(つか)ねて二となす。一にはいはく念仏往生、二にはいはく万行往生なり。もし[[懐感]]禅師の意によらば、往生の行多しといへども束ねて二となす。一にはいはく念仏往生、二にはいはく[[諸行往生]]なり。([[選択本願念仏集 (七祖)#P--1200|選択本願念仏集(P.1199]])
 
とあるように念仏往生・諸行往生の二種の往生を示すが、本意としては諸行往生を廃し、念仏往生を立てている。<br />
 
とあるように念仏往生・諸行往生の二種の往生を示すが、本意としては諸行往生を廃し、念仏往生を立てている。<br />
 
親鸞は、諸行往生を第十九願の[[要門]]の教えとした。『御消息』第一通には、
 
親鸞は、諸行往生を第十九願の[[要門]]の教えとした。『御消息』第一通には、
:[[定散]]の善は諸行往生のことばにをさまるなり。この善は他力のなかの自力の善なり。この自力の行人は、来迎をまたずしては、辺地・胎生・懈慢界までも生るべからず。([[消息上#P--736|御消息 P.736]])
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:[[定散]]の善は[[諸行往生]]のことばにをさまるなり。この善は他力のなかの自力の善なり。この自力の行人は、来迎をまたずしては、辺地・胎生・懈慢界までも生るべからず。([[消息上#P--736|御消息 P.736]])
 
とある。→[[双樹林下往生]](浄土真宗辞典)
 
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2018年12月27日 (木) 23:52時点における最新版

しょぎょうおうじょう

 自分の力で諸善万行を修め、その功徳によって浄土に往生しようとするもの。念仏往生に対する要門第十九願の教え。→念仏往生。 (消息 P.735)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

諸行往生

念仏往生に対する語。
自らの力で諸善万行を修め、その功徳によって浄土往生しようとすること。万行往生ともいう。 法然は『選択集』に、

もし道綽禅師の意によらば、往生の行多しといへども束(つか)ねて二となす。一にはいはく念仏往生、二にはいはく万行往生なり。もし懐感禅師の意によらば、往生の行多しといへども束ねて二となす。一にはいはく念仏往生、二にはいはく諸行往生なり。(選択本願念仏集(P.1199)

とあるように念仏往生・諸行往生の二種の往生を示すが、本意としては諸行往生を廃し、念仏往生を立てている。
親鸞は、諸行往生を第十九願の要門の教えとした。『御消息』第一通には、

定散の善は諸行往生のことばにをさまるなり。この善は他力のなかの自力の善なり。この自力の行人は、来迎をまたずしては、辺地・胎生・懈慢界までも生るべからず。(御消息 P.736)

とある。→双樹林下往生(浄土真宗辞典)

六三法門
念仏往生
念仏往生の願