「第十八願」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
1行目: | 1行目: | ||
− | * | + | *道綽「本願取意の文」(第十八願と観経の下下品の説を合わせた文) |
:若有衆生 縦令一生造悪 臨命終時 十念相続称我名字 若不生者不取正覚。 | :若有衆生 縦令一生造悪 臨命終時 十念相続称我名字 若不生者不取正覚。 | ||
::もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ。([[安楽集 (七祖)#P--242|安楽集 P.242]]) | ::もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ。([[安楽集 (七祖)#P--242|安楽集 P.242]]) |
2019年8月24日 (土) 14:14時点における版
- 道綽「本願取意の文」(第十八願と観経の下下品の説を合わせた文)
- 若有衆生 縦令一生造悪 臨命終時 十念相続称我名字 若不生者不取正覚。
- もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは正覚を取らじ。(安楽集 P.242)
- 善導「本願加減の文」
- 若我成仏 十方衆生 願生我国 称我名字 下至十声 乗我願力 若不生者 不取正覚。
- もしわれ成仏せんに、十方 の衆生、わが国に生ぜんと願じて、わが名字を称すること、下十声に至るまで、 わが願力に乗じて、もし生ぜずは、正覚を取らじ。(観念法門 P.630)(行巻 P.169、 尊号 P.656)
- 善導「本願取意の文」
- 若我得仏 十方衆生 称我名号 願生我国 下至十念 若不生者 不取正覚。
- 善導「自解本願の文」
- 若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚。
- もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ。(往生礼讃 P.711) (行巻 P.169、化巻 P.472)